きょうの17章では、主はエゼキエルに対して、なぞかけの形式で預言をするように言われました。
1節―10節では、2羽の大鷲が登場します。そのあらすじは以下の通りです。「大きな翼を持った鷲がレバノンに飛んできて、杉の木の梢を摘み取り、それを商業の地に運んでいった。それから、その地のぶどうの種をとってきて、水のほとりの肥沃な場所に植えたところ、成長し、背丈は低いが、よくはびこる葡萄の木となり、その根を自分を植えてくれた大鷲の方へ向けて伸ばした。ところがもう1羽の別の大鷲が飛んでくると、そのぶどうの木は、潤いを得るために、自分の根をそのもう一羽の大鷲のほうに向け直した。水の豊かな良い地に植え付けられていたにもかかわらず、そんなことをしたらその葡萄の樹はどうなるだろうか。今は栄えているが、根こそぎ引き抜かれ、その実は摘み取られ、枯れてしまわないだろうか。」
11節―21節では、このなぞの解き明かしがなされます。反逆の家とは南ユダのことです。最初に登場する「大鷲」とは、当時、世界の「商業の中心地」であったバビロンを指しています。そのバビロンの王ネブカデレザルは、「杉の梢」として表現されている南ユダ王国のエホヤキン王をユダの主だった者たちと共にバビロンに連れ去りました。そして、今度はネブカデレザル王は、「その地の種」として表現されている、ユダの王族の一人を選んでゼデキヤと改名させて、南ユダ王国の王として忠誠を誓わせました。それは「たけは低いがよくはびこる葡萄の樹」(6節)として表現されているように、バビロン王の圧力のもとで低くされ立ち上がれないようにされている状態(14節)におかれていました。ところが、この葡萄の樹は「もう一羽の鷲に向けて根を伸ばした」(7節)と表現されているように、彼(ゼデキヤ王)は、当時、バビロンと並ぶ勢力をもっていたエジプトに使者を遣わし、軍事的な援助を求めました(15節)。しかし、こんなことをしていて、バビロンが放っておくはずがありません。「根こそぎ引き抜かれて、・・・それは枯れてしまう」(9節、10節)と表現されているように、バビロン王により捕えられ、バビロンへと連行されるのです(20節)。南ユダの軍隊は全滅し、残された者も四方に散らされてしまうのです(21節)。
エゼキエルが語ったこれらの預言のことばは、紀元前590年と言われています。それはゼデキヤ王が反逆したため、バビロンのネブカデレザル王がエルサレムに進軍し包囲した紀元前587年よりも、2,3年前のことでした。つまり、エゼキエルの預言の通りに、主のことばが成就したのです。ですから、21節で、主は「この時、あなたがたは、主であるわたしが語ったことを知ろう」と言われたのです。
22節ー24節は、イスラエルの将来の回復と栄光に関する預言です。「高い杉の梢を切り取り、・・・高くて立派な山に植える」(22節)と表現されていますが、南ユダの民は、そのあと、ペルシャ帝国のクロス大王の勅令により、祖国復帰が成就しました。しかし、23節と24節の内容は、むしろ、メシヤの到来によって実現する神の国に関する預言として理解されるものです。事実、主イエスが蒔かれた福音の種は世界中に蒔かれて、世界中で実を結んでいます。
清宣教師