40章から最後の48章までは、エゼキエルが幻の中でイスラエルの地に行って見た新しい神殿、その新しい神殿を中心にした新しいエルサレム、さらに、新しいエルサレムを中心にした新しい12部族の相続地について、記されています。これらの幻については、捕囚の民が帰還した後の回復後の新しいイスラエルの青写真(設計図)とも思われますが、しかし、捕囚の民はこれをイスラエルを再建する青写真(設計図)とは理解していなかったようです。聖書の注解者も、これらの出来事は終末時代のこと、あるいは、キリスト再臨後の新天新地において成就する教会を指しているのではないかと解釈しています。このエゼキエルが見た幻を通しての預言はまだ成就してはいないので、やはり、終末あるいはキリスト再臨後に成就することと思われます。
これらの預言は、エゼキエルが捕囚となってから25年目(紀元前573年)の1月30日、エルサレムが陥落してから14年目に与えられました(40章1節)。エルサレムを見たことがない子供たちも生まれ、新しい世代の比率が次第に多くなる時期でした。バビロン捕囚からの解放の預言はすでになされていましたが、70年目の解放にはまだまだ時間がありました。そのような時間の流れの中で、主はイスラエル再建の夢を与えて、捕囚の民が回復の預言を信じて耐え抜く力を与えようとされたのだと思います。
1日1章も、明日から来週の月曜日までお休みです。それで、40章から始まるエゼキエルが見た神殿について、概略を記します。
40章1節―4節では、エゼキエルは幻の中でイスラエルの高い山に連れて行かれました。そこから町をみました。5節―37節では、神殿の外壁、外壁の三つの門、内庭の門を見ました。38節―47節では、祭司たちがいけにえをほふる部屋と控室を見ました。40章48節―41章4節では、神殿の本堂、41章5節-11節では、本堂の周囲の脇間、41章12節―17節では、本堂の西側にある建物、41章18節―26節では、本堂の内装と主の前の机、42章1節―14節では、祭司たちが聖なる捧げ物を食べる部屋、42章15節―20節では、聖と俗を区別する神殿の外壁に関する記事が記されています。
43章1節―5節では、40章から42章の幻の中で、新しいイスラエルの神殿を一通り案内した御使いが、エゼキエルをもう一度、外庭の東門に連れて行きました。そこは、エゼキエルが最初に神殿に入ったところであり、幻が次の段階に入る時にはいつも、連れ戻される場所でした(40章6節、43章1節、44章1節、46章1節、47章1節参照)。そのとき、主の栄光に輝く神々しい幻が東のほうから現われるのです。前回は、主の栄光がエルサレムの神殿から東の方へと去っていかれました(10章18節―20節、11章22節―24節)が、今回は、東の方から、東門を通って、神殿の中に帰って来られるのです。
ところで、この40章から42章までの箇所を繰り返して読んでも、なかなか、具体的なイメージが浮かびません。それで、参考資料が欲しい方には、エゼキエルが見た神殿、内庭と外庭の門、神殿の本堂などに関する図をコピーして、お渡しします。
清宣教師