紀元前700年頃、北王国のイスラエルの預言者ヨナが、主からひとつの使命を与えられました。それはアッシリアの首都であるニネベに行き、「ニネベは滅びる」と叫ぶようにとの命令でした。それまでのヨナは北イスラエルの回復を預言し、その預言は成就しましたので自国の民の間では人気のある預言者だったに違いありません(第2列王記14章25節参照)。しかし、今回は、悪名高いニネベに行って主のことばを伝えることでした。第1に危険が大きすぎること、第2に、イスラエルにとって危険な存在であるニネベはむしろ滅んだ方が良いとの考えも心に浮かんだと思われます。ヨナは、すでに、みなさまご存じのように、ニネベとは正反対の西の果て(タルシシュ、つまり、現在のスペインの一地方)にまで逃げようとしました(ヨナ書1章3節)。ところが、暴風が起こり、ヨナは主の摂理の中で海に投げ入れられ、大きな魚に飲み込まれました(ヨナ書1章7節―17節)。
ところで、ここまでの経過を見ますと、イスラエルの高地からヨッパの港に下りました(1章3節)。そして、ヨナはさらに船底に降りて行って(1章5節)、そしてついには、海の中、そして、とうとう、魚の腹の中へと下っていきました(1章15節、2章5節)。人は創造主に背を向けると、どんどん、下へ下へと降りていきます。そこで、ヨナは悔い改めました。どこかで引き返すチャンスはあったのですが、最後までそれを拒絶しました。しかし、ヨナは遂に、悔い改めました。それが今日のヨナ書2章の祈りのことばです。それは主への賛美の詩となっています。ここからは主の御手によって、海の底から浜辺へと大きな魚によって引き揚げられ、ついに、地中海沿岸の陸地に連れ戻されたのです(2章10節)。私たちは、主に背を向けて、自分の道を歩み続けて、どんどん、絶望のどん底まで堕ちてしまうことがあります。しかし、主はどん底まで下りて下さいます。それが、神の御子の受肉であり、十字架の意味です。天から神の御子が、私たちの住む地へと降りて来られ、人の子として受肉されました。そして、十字架の死を通して黄泉までくだり、絶望の死の世界に閉じ込められている者たちを救われました。さらに、キリストは私たちを復活のいのちに与らせ、さらに、天の御座へと引き上げて下さいました。ヨナは、イエス様の死と復活のしるしとして用いられるようになりました(マタイの福音書12章39節―40節参照)。
主は、迷いだしてしまった羊を、あきらめることなく、捜し求めて、最後にはご自分の肩にかついで、主の家に連れ戻してくださるお方です。
清宣教師