ナホム書に入りました。預言者ナホムは、紀元前663年~612年の間に、アッシリアの首都ニネベに遣わされた人です。当時から約100年前には、主が預言者ヨナを遣わして、悔い改めに至らせたことがありました。あの時は、上から下まですべてのひとが悔い改めて悪を離れました。しかし、その後、次第に悪に走るようになりました。そして、ナホムの時代には、ニネベは、流血の町(ナホム書3章1節参照)と呼ばれるほどに悪に染まり、偶像礼拝(1章14節)、高ぶり、殺人、不正にまみれた町となっていました。それで、預言者ナホムは、ニネベに対して、同時に、ユダの人々に対して、ニネベは滅びるという、主の宣告を述べています(1章1節)。アッシリア帝国は、残虐非道な行いにより知られていました。主はこのようなことを見過ごしにはしません。徹底した裁きをもってアッシリアを裁かれます。ニネベは、主の公正な裁きを受けて、全滅するのです(10節)。同時に、それは主に頼る人たちに対する慰めとなります。ナホムというヘブル語は、慰めという意味をもっています。主はアッシリアに苦しめられている南ユダに対して、主が主権をもってアッシリアを滅ぼすというメッセージを伝え、アッシリアからの解放を知らせ、南ユダが、主の民として、主の律法と礼拝を実行するように勧めています(1章15節)。 
2章1節の「大いに力を奮い立たせよ」とは皮肉のことばです。あれほどの権勢と凶暴さを誇ったものたちですが、いまは完全に弱体化して、敵から「大いに力を奮い立たせよ」とあざけられるほどになっていました。ニネベの町を攻略するために、主が遣わされたのは、赤い盾、緋色の服をまとった兵士たちでした(2章3節)。これはメディア、新バビロニア、スクテヤの連合軍を表しています。彼らの盾と軍服と戦車は赤色でした。緋色の服はメディア人の好みの服でした。槍は揺れ、戦車は通りを狂い走り(4節)、貴人たちも招集されますが、つまづくほど、混乱がひどく、敗色濃厚でした(5節)。そして、ついに、町々の門は開かれたのです(6節)。ニネベの町は、周囲を城壁で囲まれ、内側には農耕地があり、自給自足できる体制にありました。また、川や運河によってつながれていました。6節の「町々の門は開かれ」とは、その運河の水門のことを指していると思われます。ティグリス川、コセルやテビルなどの支流があり、ニネベには15の水門がありました。敵軍の侵入をふせぐために、水門を開いた結果、洪水による増水が町の城壁の一部を流し、敵の侵入口を作ってしまったようです。無敵を誇ったニネベは紀元前612年8月に陥落しました。8節~10節では、敗走に次ぐ、敗走で、すべての貢物などが奪われてしまう様子を描いています。11節~13節では、ニネベを百獣の王であるライオンに例えています。しかし、全能の神が宣言されます。「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」ライオンであっても、主の裁きの前には無力です。このようにナホムは、主のことばを宣告しましたが、「預言とは前もって書かれた歴史である」と言われるように、後に、文字通り、この預言の通りに、ニネベは陥落しました。あまりにも、預言と実際の出来事が一致するので、後の歴史家は、ナホム書はニネベの町が陥落した後の時代に書かれたに違いないと主張するほどでした。
私たちがいま生きている時代は、もろもろの勢力によって翻弄されています。
しかし、主のみことばは確かです。主はすべてを見ておられ、公平な裁きをなされます。
私たちは、私たちが置かれた場所で、誠実に私たちのなすべきことを果たすのみです。
主は私たちと共におられます。主は私たちを通して、社会を祝福しようとして、それぞれの場におかれました。
聖霊様は、私たちのパートナーです。私たちを通して、事を成そうとされています。
あなたは世の光、地の塩です。
清宣教師