8章では7章に続いて、べテルから派遣された者たちが尋ねた断食に関する質問への回答がしるされています。7章で、主の回答を聞いた者たちは、主の強い怒りのようなものを感じ取ったに違いありません。不従順の罪を示されて深い罪の意識をもったようです。そのようなとき、主は励ましのことばを語られました。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」(3節)。さらに、「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女が座り、年寄りになって、みな杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう」(4節、5節)。なんと、慰めにみちたことばでしょう。さらに「わたしは真実と正義をもって彼らの神となる」(8節)と言われました。続いて、『勇気を出せ。あなたがたは主の家である神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちの口から、これらのことばを日ごろ聞いているではないか。・・・平安の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物をだし、天は露を降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継がせよう。ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。』(9節~13節)。次から次へと慰めと励ましの預言が続きます。そして、最後に、「第4の月、第5の月、第7の月、第10の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから真実を平和を愛せよ。」(19節)と回答されました。そして、「多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。」(22節)と預言されました。悲しみの断食は喜びの祝宴となり、世界の異邦人の国々が主を求めて、主のもとに来るというのです。神殿建設の中で、彼らは、もの凄い祝福の預言のことばをいただきました。
私たちも、主のみこころを行っているにもかかわらず、困難や反対などに遭遇することがあります。そのとき、悔い改めつつ、主のみこころを行い続ける時に、主は必ず、慰めと励ましをもって豊かに私たちを労って下さいます。私たちの主は、すぐそばで、「勇気を出せ」と語って下さるお方です。なんと素晴らしい主でしょう。
清宣教師