9章1節~8節においては、圧迫する隣国への神の裁きが記されています。1節では「ハデラク」という地名が出ていますが、これはハマテの北の地域に相当し、ダマスコを首都とするシリヤの別名と考えられています。2節―4節は、ツロとシドンへの裁き、5節―6節は、ペリシテ(アシュケロン、ガザ、エクロンはペリシテ人の主要都市)への裁き、7節―8節は、一転して、イスラエルに対する神の憐みが述べられています。
9節―10節は、平和の王の到来です。その方は戦車ではなく、ロバの子に乗ってこられお方です。まさに、イエス様のエルサレムの入城の際に、この預言が成就しました(マタイの福音書21章5節参照)。10節では、戦車も軍馬も、戦いの弓も断たれる平和の君であることを明確にしています。
11節では、来たるべきメシヤを指しています。ユダの民がバビロンに捕囚となっていたように、罪の囚われ人たちも、御子キリストの血潮の契約により、罪から解放されるのです。12節~17節では、この世の悪や惑わしにとらわれている人たちがみな解放されるのです。『砦に帰れ』(12節)と叫ばれています。私たちの救いの砦は、御子イエス・キリストのものとです。13節の[ヤワンはあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする]のヤワンとはギリシャ人のことであり、これはアレクサンドロス大王に関する預言です。主こそ、力の源です。主は私たちをも勇士の剣のようにしてくださいます。
10章1節で、「後の雨の時に、主に雨を求めよ。」と記されています。この背後にはバアル宗教に対する戦いがあります。偶像神バアルは豊穣の神としてあがめられていました。しかし、雨を降らせ、豊かな収穫を与えるのは、天と地を造られた創造主なる神です。「後の雨」とは、終わりの時代に生きる私たちにとっては、魂の大収穫の前に降る、聖霊様の大雨の象徴です。『求めよ』と主は言われています。はい。主に雨を求めます。私たちの家族に、親族に、この日本の同胞のうえに、後の雨を与えて下さい。聖霊様の雨を降らせて下さい。
清宣教師