皆様のお祈りの支援、ありがとうございました。8月2日(火)から4日(木)まで、清水シティチャーチで、CRJの理事をはじめ、他の創造論団体のリーダーを交えて、創世記1章から6章までの聖書の解釈に関して、ひとつひとつ、ていねいに検討しました。また、とくに今回は同性愛や性同一性障害など、LGBTに関する話し合いの時も持ちました。充実した学びでした。8月5日(金)は、4つの創造論団体が集まり、次回のアジア創造学術会議の開催(日本での開催)の可能性について主の導きを求める祈り会でした。昨夜、仙台に帰りました。すべてが無事、終わりましたので、ひとまず安心しました。
今日は、マタイの福音書19章です。最初の3節~12節において、男女の結婚のことがしるされています。正確には夫と妻の結婚のことです。ここではパリサイ人が離婚についてイエス様に質問しています。それに対して、イエス様は、創世記のみことばから、結婚の奥義について話し、「こういうわけで、人は、神が結び合わせた者を引き離してはなりません。」と答えられました。今日では、離婚は当然の権利であるかのように主張されていますが、イエス様が解き明かされたように、離婚は人間の頑なさのゆえに許されるという状況になったのであり、本来、夫婦の結婚は創造の秩序の中では最も大事な祝福の源であることを決して忘れてはならないのです。ところで、今日の大きな課題は、LGBTの課題です。つまり、同性愛、同性婚、性同一性障害などの問題です。今回の清水における共通見解に関する話し合いのひとつとして、このLGBTの問題が取り上げられました。トニー先生より、アメリカやカナダにおけるLGBTの動きについて紹介がありました。憲法の解釈が変更され、同性婚が人権として憲法で保障されているとの解釈です。その結果、例えば、カナダでの例ですが、牧師が教会の礼拝メッセージで同性愛の問題について批判すると、それはヘイトスピーチ扱いとなり逮捕されることになりますが、アメリカも今後そのようになっていく傾向にあるとのことです。日本は、欧米化しており、すでに東京の渋谷でも同性婚を認めるような条例ができています。遅かれ早かれ、日本でも同性愛を認めるようにとの法律解釈がなされていくことが予想されます。そうなれば、日本で創造論を宣教する私たちも、カナダやアメリカの創造論に立つ牧師たちと同じように、ヘイトスピーチという罪名で告訴されるような時代が来るのを避けられないかも知れません。しかし、どのような状況の変化があろうとも、私たちは、同性愛が、創造主の創造の秩序に反すること、「創造に基づいた結婚の祝福について語る。」ことを止めないことを確認しました。また。私たちは創造論者として、LGBTを批判するスタイルではなく、人間は、男女ともに神のかたちとして、本来の姿で生きることが祝福の道であることを強調していくことを確認しました。しかし、一方で、いま、日本の教会の若者たちは、同性愛を受け入れるのが良いと考える人たちが増えていること、一方で、ただただ、同性愛を重罪として厳しく糾弾する教会があることなど、いまのままでは真の解決がみえてこない状況にあることを確認しました。その結果、CRJとしては、創世記1章27節の「 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」との聖句から、創造の最初に、男と女とにつくられた。創造の秩序と祝福について話すこと、次に、人が堕落して、神のかたちがこわれて、人の罪が積み重なって、このような問題が入り込んできたことを共通の見解として、これらの問題に対処することを話し合いました。また、創世記2章24節「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と記されています。この男は、「妻と結び合い」と記されており、「女と結び合い」とは記されていないこと、つまり、創造主は性関係を、「夫婦」の間にだけ定められたことに留意することがとても大切であり、これが創造の秩序であり祝福であることを確認しました。イエス様は「神にはどんなことでも出来ます」(26節)。私たちの目標は、同性愛の人がイエス様を信じて救われ、主イエス様のみわざにより、本来の姿へと回復して下さることを信じて、活動することです。