今日は、オリンピック陸上競技の400メートルリレーの決勝でした。各国のチームには、100メートルを9秒台で走る選手たちが複数もいるなかで、日本は9秒台で走る選手がいないという状況です。しかし、バトンのリレーが完璧で、チームワークも完璧で、第1、第2、第3、第4走者がそれぞれの賜物を生かして、銀メダルを獲得しました。ウサイン・ボルト選手も賞賛する内容でした。それぞれの弱点をチームワークで克服できるという見本でした。感動しました。
さて、5章に入ると、ゲラサ人の地での出来事が記されています。イエス様は、昨日の4章の後半で、すでに、激しい突風によるサタンの攻撃と戦っていました。それは、まったき平安という戦略の中での勝利の戦いでした。弟子たちは、湖の上で船が沈みそうになり、パニックになっていました。そして恐れに捕えられてしまいました。一方、イエス様は、船のともの方で、まくらをして眠っておられました。しかし、弟子たちに無理に起こされましたので、風をしかりつけ、湖に静まるように命じられました。ゲラサの地域を支配していた悪霊は、イエス様がこの地方に近づくことを警戒していたのです。しかし、イエス様は勝利されて、無事、ゲラサ人の地に上陸されました。そこに、汚れた霊につかれた人がイエス様を見つけて、駆け寄ってきました。「いと高き神の子、・・・」と叫びました。そして、神の御名まで使って、「私を苦しめないで下さい」と叫びました。それはいかにも正当な願いのようでしたが、じつは、この悪霊こそ、その男を苦しめてきた諜報人でした。この男は、家庭が崩壊し、墓場に住みつき、凶暴な性質となり、鎖につながれておかなければならないほどでした。そして、自分の体を傷つけていたのです。この男は悪霊に支配され、人生が滅茶苦茶にされていました。その悪霊の名前はレギオンでした。レギオンとはローマの1軍団(6000人)の意味なので、1軍団のような悪霊の集まりを指しています。「私を苦しめないで下さい」とは、明らかに、偽りに満ちた表現です。イエス様は、このひとりの男を、レギオンから解放するために、この地に来られたのです。そして、悪霊を追い出す決意を明らかにされたのです。そのとき、レギオンは、この地方から追い出さないでほしいと懇願しました。つまり、悪霊たちには、それぞれの地域が割り当てられていたようです。この地方から追い出されることは、レギオンにとって恐怖だったようです。それで、「豚の中に送って下さい」と願いました。イエス様がその願いを許されると、悪霊どもは2千匹の豚の中に乗り移りました。豚は驚いて、崖を駆け下り、湖にはいりおぼれ死んでしまいました。悪霊の働きは、その人の人格を破壊する存在です。また、死に至らせる存在です。サタンの戦略は、恐れをもたらすことです。イエス様は、その人の人格を回復し、平安と安息をもたらされます。レギオンから解放された男は、裸を覆う着物を着ました。そして、正気に返りました。自分の生まれ故郷に帰り、自分の家庭に平和をもたらしました。崩壊した家族が回復されました。そして、この男はイエス様がなしてくださった大きな、良いわざについて、家族を始め町中のひとに宣べ伝えました。こうして、デカポリスの人たちに、イエス様の名前と働きが知れ渡るようになりました。ところで、ゲラサ人の地方の住民たちは、イエス様にどんな態度をとったでしょうか?悪霊に憑かれた男が正気となり、多くの豚が湖に駆け下りおぼれたことなどを聞かされた時、主のみわざをほめたたえるのではなく、「恐ろしくなった」(15節の末尾)というのです。この地方を支配していた悪霊は、人々を恐れで縛っていたのです。本来、住民たちは解放を喜ぶべきでしたが、恐ろしくなったのです。恐怖に取りつかれたのです。またまた、この地を支配していた悪霊は人々を偽りによって恐れの中に閉じ込めたのです。その結果、なんと、住民たちは「イエス様にこの地方から離れて下さい」と願ったのです(17節)。こうして、イエス様はこの地方を去り、この地を支配していた悪霊はその地に留まり続けたのです。サタンの戦略は、もろもろの思い煩い、心配事などをもって、私たち人間を恐れの中に閉じ込めます。それに対するイエス様の戦略は、平安と安息です。イエス様が、この地の悪霊の攻撃である激しい突風に見舞われた時、父なる神様に全き平安をもって信頼して、船のともの方で、まくらして安息されていました。ここで、勝負はついたのです。私たちが、どれほど、天の父に信頼するか、それで勝負が決まるのです。私たちの天の父は、御子をお与えになる程、私たちを愛しておられます。そして、私たちを子として呼んでおられます。何事が起ころうと、天の父は私たちにとって良きことしかお与えになることが出来ないお方です。「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する生活」こそ、天の父なる神様が、イエス様にあって、私たちに期待しておられることです。それが勝利の生活です。
清宣教師
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