おはようございます。昨夜、無事、仙台に帰りました。皆様のお祈りを感謝いたします。北海道の七飯地区、札幌地区、帯広地区で、それぞれ、創造論宣教に関する大事な御用を終えることが出来ました。新しい方との出会いも与えられました。今後、主のご計画の中で創造論ネットワークの大事な結び目となる方々であると思います。北海道は、まさに、デッカイドウでした。蒔かれた創造論の種が、ひとりひとりの心の中で豊かな実を結びますように祈ります。
さて、きょうは14日です。ルカの14章です。ある安息日の出来事が記されています。13章においても、やはり、ある安息日における癒しの出来事が記されていました(13章10節~17節)。そこでは18年間も、まったく腰を伸ばすことが出来ない病気にかかった女性がいました。イエス様は、その女性を呼び寄せて、「あなたの病気は癒されました」と宣言しました。そして、手を置かれました。すると、その女性の腰が伸びて、真っ直ぐに伸ばすことが出来ました。それを見た会堂管理者は、「働いて良い日は6日間です。安息日にはいけないのです」と群衆に対して憤りながら言いました。それを聞いたイエス様は、「偽善者たち、・・・この女はアブラハムの娘なのです。それを18年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからと言ってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」と話されました。すると、反対していた者たちもみな恥じ入りました。群衆は、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜びました。イエス様のなさった『輝かしいみわざ』という表現は、独特で、素晴らしい表現ですね。一方、18年もの間、腰が曲がっていた病気の人ですが、イエス様は、この状況を、『18年もの間、サタンはアブラハムの娘を縛っていた』と表現されました。サタンは、もろもろの病気や災害などにより、人々を苦しめます。私たちも、祈りをあきらめることなく、長い間、サタンの束縛のもとにある魂が解放されるように、きょうも、明日も、祈り求めていきましょう。
そして、きょうの14章1節~6節では、やはり安息日のことでしたが、水腫を患っている男性のことが記されています。イエス様は水腫にかかっている男の人を抱いて癒して帰されました。ここで問題として取り上げられていることは、宗教指導者たちが陥っていた盲点でした。当時の宗教指導者である律法学者やパリサイ人たち、あるいは、会堂管理者は、律法を守ることに熱心でした。中でも安息日を守ることに特に熱心でした。しかし、その守り方は、血の通わない、形式的、教条主義的なものでした。人々の生活を束縛するものとなっていました。「律法に生きる」とは「束縛に生きる」ような錯覚をもたらすものでした。イエス様はしばしば、「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない」と言われました。ですから、イエス様は、安息日にも、ためらうことなく、病人や悪霊に憑かれて苦しんでいる人たちを解放し、癒されました。私たちも、冷たい心で批評的に見るのではなく、イエス様のような、いのちが通っている「輝かしいみわざ」を行うひとになりたいです。
清宣教師