きょうは、仙台アグローキャンドルライトがありました。それで、遅れてしまいました。申し訳ありませんでした。
さて、最初の例え話は、イエス様のお話しとしては、なにか耳慣れないような感じがして、理解するのが難しく思いました。しかし、イエス様の解き明かしがあるので、その線に沿って理解すれば分るようになります。イエス様の解き明かしは「わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。」というものでした。
さて、この話に登場する商品は、油と小麦の収穫物でした。当時、オリーブ(油)や小麦の収穫物の借りものということですが、年によって豊作のときもあり、凶作のときもあります。ある意味、そうしたリスクを含めて貸し借りが行われていました。歴史家の研究によると、当時の小麦の利子は20%、また、オリーブ油の場合は、利子が80%と非常に高く、それにリスクとして20%が上乗せされて合計すると100%の利子がかかっていたと言われます、つまり、オリーブ油の場合は、2倍にして返さなければならなかったわけです。この例え話で疑いをかけられた不正な管理人がとった行動は、主人の債務者を呼んで、「油100パテ」を「油50パテ」に書き換えさせ、「小麦100コル」を「小麦80コル」に書き換えさせました。つまり、無利子にしてやったということです。主人は、この管理人が主人の財産を用いて、自分の友達をつくったことを賢いと認めました。もし主人が、この管理人を、勝手に利子をゼロにしたといって訴えても、日ごろ、高利をむさぼっていたことが明らかになります。評判を著しく落とすことになります。こうも抜け目なく、自分の有利になるように仕向けた管理人の頭の良さには主人もさすがに脱帽したということです。
それにしても、この例え話が意味するところは、この世の富は不正の富であるとしても、それを用いて、天国に宝を摘むことが出来るということを示しています。お返しすることが出来ない人々に、この世の富を用いて助けるなら、やがて、天において報いを得るのです。その人たちが天の御国にむかえてくれるのです。この世の富をいかに、主のみこころにそって用いるかが問われるのです。この世の富であっても、それを忠実に用いることが求められています。そして、それを忠実に用いる時に、主は天国の多くの物を任せると約束されているのです。
清宣教師