24日(土)と25日(日)は、栗駒の花山青少年自然の家での栗原教会の一泊修養会でした。25日の午後2時半からの主日礼拝メッセージを含めると、5回のシリーズで、進化論と創造論についてお話しすることが出来ました。栗原教会の皆様とも親しく交わる機会が与えられました。皆様、熱心に耳を傾けてくださり、創造主の素晴らしさを知り、喜びを共にすることができました。皆様のお祈りを感謝します。
さて、ヨハネの福音書3章に入りました。すでに1章と2章を読み終えて、さきのマタイ、マルコ、ルカの共観福音書とは雰囲気が異なるのを感じたことと思われます。ヨハネの福音書の場合、他の3つの共観福音書との並行記事は全体の1割にも満たず、その代わり、ヨハネの福音書に固有の出来事と教えが記載されています。ヨハネの福音書は、その舞台をエルサレムとその周辺だけに限定しています。ヨハネの福音書の執筆の目的は、20章31節に明確に述べられています。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子であることを、あなたがたが信じるため、また、あなた方が信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」
ルカの福音書の目的は、ルカの福音書の冒頭に記されていましたが、すでに述べ伝えられている出来事について、ルカが綿密に調べて、それらの出来事を順序立てて説明することにより、すでに教えられた事柄が正確な事実であることを理解してもらうためでした。しかし、ヨハネは、読者に対して、イエスが神の御子であること信じて永遠のいのちを得て欲しい、と願って書いたのです。ですから、イエスが神の御子であることを示す証拠(しるし)としての奇蹟を、全体の骨組みとして、用いています。例えば、ヨハネ2章11節ですが「最初のしるし」としてカナの婚礼におけるブドウ酒の奇蹟を記しています。イエスは、ご自分の栄光を現された、と記しています。ヨハネの福音書4章54節に「第二のしるし」が出てきます。そして、最後の7番目のしるしが、復活の奇蹟です。ヨハネは、弟子たちの中でも最も若い方でしたが、主に愛される弟子でした。いつも、イエス様の隣の席に座っていたようです。そして、深い霊的な洞察力を持っており、このヨハネの福音書も、そのような内容を加味して、記しています。
このヨハネの福音書全体の中心聖句ともいえるのが、今日の3章16節です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ここに福音の真髄が記されています。そして、これは旧新約聖書全体の中心テーマでもあります。創造主は無限の叡智と愛をもって、天と地とそこに満ちる万物を創造されました。そして、アダムとエバが、創造主のかたちにかたどって創造されました。「さあ人を造ろう」。創造主はアダムとエバのために、すべての良きものをもって準備して下さいました。しかし、アダムとエバは、創造主に背を向けて、自分のちからで生きる道を選んでしまいました。そして、サタンの支配下に囚われの身となったのです。しかし、父なる神は、御子イエス様をこの世に遣わして、罪とサタンの支配下に囚われていた人類を贖い解放するために、御子イエスによる十字架の身代わりの死を計画し実行されました。神は実にそのひとり子をお与えになるほどに、世を愛されました。そして、私たち一人一人に永遠のいのちを得させてくださいました。私たちの人生を通して、主に栄光をお返しすることができますように。
清宣教師