今日は第3のしるしとしての病の癒しの奇蹟が記されています(2節―9節)。神殿の北側の羊の門のそばにベデスダと呼ばれる池がありました。5つの回廊がついていたと記されています(2節)。発掘調査の結果、長方形の池が南北に二つ並び、おのおのの池を囲んで4つの回廊があり、二つの池の間を仕切るように、もうひとつの回廊があったことが明らかにされています。ベデスダとは「あわれみの家」の意味で、多くの病気の人が癒しを体験した恵みの場所でした。
そこには、間欠泉があり、時折、水が動いたようです。そこには長い間の病気で社会から見捨てられたような人たちがたむろしていたと思われます。この池の南には、ヘロデ大王が46年もかけてなお未完の神殿が、きらびやかな姿をみせていました。しかし、ここには、38年もの間、癒されることなく、臥せっている人がいたのです。病気が長くなればなるほど、病気の人の心の中には「回復は不可能」という文字が刻まれていく一方で、それでも「治るかも知れない」という一縷の望みは決してなくなりません。それゆえに、生きていけるのです。ついに、イエス様がそばに来てくださいました。そして、問いかけて下さいました。当たり前のことを当たり前のように問いかけました。「よくなりたいか」。そして、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じられました。当たり前のことのように、命じられました。そして、この男は、当たり前のように、すぐに床を取り上げて歩き始めたのです。38年もの間、歩くことが出来なかったのですから、何カ月ものリハビリが必要なはずです。しかし、すぐに、歩き出したのです。ここに明らかにイエス様の奇蹟があります。そして、安息日論争が続きます。律法主義の社会にはつきものの論争です。内容ではなく、形が問題になるのです。38年もの間、足が不自由であるけなかった男が、歩けるようになったのです。しかし、安息日だからダメだとレッテルを貼るのです。案外、私たちのうちにも、同じように意固地な所があるように思います。私たちには聖霊様の自由が必要です。聖霊様の満たしを希(こいねが)います。
その男は、その日も、朝からいつものように臥せっていました。昨日までと同じ日のように思えました。今日も昨日の延長で、何事もなく過ぎていく1日であると思っていました。しかし、そこにイエス様が歩いて来られました。イエス様は彼が臥せっていて、それがもう長いことを知られました。そして、「良くなりたいか」と問いかけられました。昨日までと同じ日ではなかったのです。昨日までの人生に、もう一日を加えただけではありませんでした。今日という日が、これからの新しい人生の最初の1日となったのです。あまりにも、ある出来事が長く続くと、私たちは昨日までの人生に1日を加えるにすぎないと思ってしまいます。しかし、イエス様にあっては、きょうは、昨日までの1日とは違うのです。新しい人生の第一歩の日なのです。「この日は、この日は、主が造られた。主が造られた。われらは喜ぼう、この日をば、この日をば。この日は、主が造られた。われらはこの日を喜ぼう♪♪」
「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(コリント人への手紙、第2、5章17節)。
清宣教師