エルサレムから東へ3キロメートルのところに(西多賀教会から長町モールくらいの距離)、オリーブ山の南東、オリーブ山の斜面に、小さな村がありました。ベタニヤ村です。そこにマルタ、マリヤ、ラザロの3人が住んでいました。上のふたりが姉、一番下が末っ子のラザロです。この家庭は、早く両親を亡くし、マルタが母親の役割を果たしていたようです。それだけに、3人の仲も良かったと思われます。イエス様は、この家庭が大好きで、忙しい旅の中にあっていつも、ホッとするような場所でした。ここでは、ラザロが重い病気にかかり、急遽、マルタとマリヤの二人の姉妹は、イエス様のもとへ、急ぎの使いを出して早く帰ってきてくださるようにお願いしました。しかし、どういうわけかイエス様はすぐにはベタニヤ村へ帰りませんでした。ただ、弟子たちには、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」と言われました。福音書の著者ヨハネは、すぐそのあとに、「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。」と記しています。さらに、「そのようなわけで」ということばで、「イエスはラザロが病んでいると聞かれた時も、そのおられた所になお二日とどまられた。」と結んでいます。これは一見矛盾していることですが、イエス様の愛は真実であると同時に、神のご計画のもと、イエス様が行動されたことを表しています。それはイエス様にとって矛盾のない行動でした。9章1節の生まれつきの盲人を御覧になった時も、イエス様は、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」と言われました(9章3節)。そして、「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません」(9章4節)と言われました。今回も、イエス様はラザロの死を「神のわざが現われるためである」と自覚されていたので、そういうわけでなお二日そこに留まられたのでした。11章に戻りますが、弟子たちがベタニヤに行こうとされるイエス様を引き留めようとしましたが、イエス様は、「昼間は12時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。」と言われて出発しました。そして、ベタニヤに到着されたから、マルタとマリヤの二人の姉妹を伴い、ラザロの墓に向かいました。そして、「大声で」叫ばれました。『ラザロよ。出てきなさい。』(43節)。ラザロは、死んで墓に葬られてから4日も経っていました。しかし、死んでいた人が、手と足を長い布にまかれたまま、墓から出てきました。ラザロのよみがえりです。イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。」(11章25節、26節)と宣言された通り、神の御子を信じるものにいのちを与えて下さいました。主よ。あなたこそ、キリストです。生ける神の御子です。アーメン。
清宣教師