イエス様は、ご自分の最期が近づいたことをおぼえて、その愛を残すところなく現されました。そして、弟子たちに対して、極意ともいうべき教えを伝授されました(13章~16章)。最後に、「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(16章33節)と言われてました。そして、イエス様はすべてのことを教えられてから、最後は祈りをもって閉じられました。きょうの17章がそれです。ちょうど、今週の主日礼拝メッセージで大竹博行さんが紹介してくださいましたが、この17章は、「大祭司の祈り」と呼ばれている個所です。
1節~5節は、ご自分のための祈りです。この弟子たちを父なる神に託するにあたり、まず、ご自分のために祈りました。すでに十字架の死を父なる神のみこころと受け留めて、その時が来たこと、父のみこころを成就する時が来たことを告白しています。そして、復活の勝利により、御子の栄光を現してくださるように祈っています(1節)。永遠のいのちは、御父と御子を知ることです。イエス様は、この地上での全生涯を通じて、御父が与えられた使命をまっとうされました。そして、御父の栄光を、あますところなく、現されました。そして、十字架において、人類の贖いを成し遂げます。ですから、人類の贖いを成し遂げて天の父のみもとに返られたときには、世界が存在する前からもっておられた御父との栄光の関係に再び入れられることを願い、祈られました。
6節~19節は、弟子たちのための祈りです。弟子たちはイエス様を通して、イエス様が天の御父から出たことを知っていました(8節)。しかし、いま、イエス様は弟子たちをこの世に残していかなければなりません。また、この世はイエス様に敵対するものであり、弟子たちに対しても敵対するものです。それで、イエス様は、弟子たちがこの世において、その使命を十分に果たすことが出来、御父のわざを引き継いで前進できるように、弟子たちが守られるように、弟子たちが一つの群として一致を保つことが出来るように(11節)、祈られました。
20節~26節は、信じるすべての者のための祈りです。弟子たちの働きを通して、やがて形成されるイエスを信じる新しい群のために、イエス様は、執り成しの祈りを捧げられました。とくに、イエス様が祈られたのは「一致」のためでした。教会の群が成長し、大きくなるにつれて、もっとも、懸念されることが一致でした。そのために、イエス様は繰り返し祈られました。そして、最後に、「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです」。このように私たちのためにも執り成しをして下さった大祭司であるイエス様に感謝します。
なお、今日(火曜日)から、金曜日まで、シオン錦秋湖のキャンプ場に行ってきます。そこで、主にある休息と備えの時を持つ予定です。4月から9月までの創造論宣教の働きのまとめ、そして、10月から来年3月までの準備、そして、新年度のビジョンを主からいただくためです。それで、申し訳ありませんが、1日1章を、金曜日までお休みさせていただきます。
清宣教師