良い天気が続いております。きょうも、1日、主の守りがありますように、お祈りいたします。
さて、昨日の5章では、アナニヤとサッピラ夫婦の貪欲と虚栄という破れ口から、サタンは夫婦の心を奪いました。それで、成長途上のエルサレム教会は、偽善の霊が入り込むという危機に直面しました。しかし、ペテロや使徒たちは、聖霊によってその偽りを見抜き、教会全体の腐敗を食い止めることが出来ました。そして、教会はきよめられて、ますます、弟子たちが増えていきました(6章1節)。ところが、今度は、日常の配給から問題が生じました。ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、苦情を申し立てました。それは、ギリシャ語を使うユダヤ人の中のやもめたちが、「毎日の配給でなおざりにされていたからである」と記しています(6章1節)。人数が少ないうちは、12人の使徒たちが協力し合い、とくに大きなトラブルは起きませんでした。しかし、3千人、5千人、さらには1万人を超えるような会衆となり、エルサレムにもともと住んでいたヘブル語を使うユダヤ人だけでなく、地中海沿岸などに離散して生活していてエルサレムに帰還して住み着いたギリシャ語を使うユダヤ人も会衆に加わるようになりました。同じユダヤ人でも、これまでの人生の中で経験した文化の違い、話し言葉の違いもありました。初めは、ヘブル語を使うユダヤ人が主体でした。12使徒たちも、全員、ヘブル語を使うユダヤ人でした。しかし、ギリシャ語を使うユダヤ人が、心を開いてイエス様をメシヤとして受け入れるようになり、むしろ、この人たちの中から入信する人の数が多くなるようになりました。12使徒たちが把握しているのは、おもにヘブル語を使うユダヤ人の信者たちのことで、ギリシャ語を使うユダヤ人のことについては、その実情をよく把握していませんでした。そのような中で、ギリシャ語を使うユダヤ人から、彼らのなかのやもめたちが配給でなおざりにされているという苦情が申し立てられたのです。この出来事は、ふたつのグループの間にある微妙な文化などの違いが表面化して、エルサレム教会全体を分裂に導くような大問題に発展する恐れがありました。そこで、使徒たちは、弟子たち全員を集めて、臨時の教会総会を開きました。そこで、12使徒たちが提案しました。まず、12使徒たちが指摘したことは、自分たちが配給などの問題で忙殺されて、本来の職務である、みことばと祈りに専念するという職務が出来なくなるという恐れでした。その解決方法として、教会員の中から御霊と知恵に満ちて、しかも教会員から信頼されている評判の良い人たちを7名選んで、この配給などの実際的な問題にあたることでした。この提案は、教会総会で全会一致で承認されました。そして、7名の人たちが選ばれました。この7名の職務は、一般的に、執事の職務として理解されています。教会総会の選挙で選ばれた7名の執事の名前は、ステパノ、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、ニコラオでした。この人たちは、その名前から、全員、ギリシャ語をつかうユダヤ人であったことが分ります。12使徒は全員ヘブル語を使うユダヤ人でしたが、7人の執事は全員、ギリシャ語を使うユダヤ人でした。こうして、エルサレム教会の組織が形成されました。全体としてバランスよく、教会員全体に福祉が行き届くようになりました。「こうして、神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。」(6章7節)と記されています。
これらのことから分ることは、「すべての問題は祝福の門口」ということです。いろいろな問題が起こりますが、それは主の御手の中で許されて起こっていることです。つまり、すべてのことを働かせて益として下さる主の御計画の中で起こっているということです。まさに、きょうの配給に関わる問題は、教会の分裂という大問題に発展する火種として、サタンが利用しようとしたものです。その根底には、使徒たちを忙殺状態にして、福音の宣教を阻止しようとするサタンの狙いでもありました。しかし、12使徒たちの知恵によって、7人の執事たちが選出されて、エルサレム教会は、組織としても整えられ、実際的な問題の解決のために働く執事たちが備えられて、全体として、ますます、発展していったのです。
いま、私たちのまえに、問題があるとしたら、それは神様の祝福の門口です。主の前に、感謝をもって受け留めましょう。そして、その問題を通して、主が栄光をお受けになるような解決を求めて祈りましょう。
清宣教師