18章23節から始まったパウロの第3回伝道旅行ですが、まず、母教会のアンテオケ教会(シリア州)を出発して、陸づたいにタルソ(キリキヤ州)、デルベ、ルステラ、イコニオム、アンテオケ(ガラテヤ州、ルカオニア地方)を通り、そこから奥地(山岳地帯)を越えてエペソ(アジア州)に到着しました(19章1節)。このエペソで、パウロは12人の弟子たちにイエスの御名によってバプテスマを授けました。その後、ほぼ3年間(31節参照)、みことばを宣べ伝えました。アジアに住む者はみな、主のことばを聞くことが出来ました(19章10節)。しかし、エペソのアルテミス神殿の銀細工人たちの扇動により大騒動が起こりました。(*シリヤ州のアンテオケからエペソまでは、現在はトルコ共和国となっています)。さて、パウロはマケドニヤへ向かって出発しました(20章1節)。今まではパウロは、アジア州の伝道に力を入れていましたが、19章21節にあるように、御霊に示されて、エーゲ海を隔ててアジア州の対岸にあるヨーロッパ(マケドニヤやアカヤ)へ渡ることにしました。(*マケドニア州、アカヤ州は、現在のギリシャ共和国の一部です)。マケドニアでは、諸教会(ピリピ、テサロニケ、ベレヤなど)をまわり、そして、ギリシャに入りました(20章2節、ここでギリシャとは、アカヤ州のことを意味しています)。アカヤ州には、あの問題の多いコリントの教会があり、日夜、パウロの心の中にある祈りの課題でした。このコリントの教会で3か月ほど過ごしました(20章3節)。その間、牧会の問題に対処するとともに、ローマ人への手紙を執筆したと思われます。その後、船で、シリヤに直行しようと考えましたが、パウロに対する陰謀があることがわかり、陸地伝いに、今まで通って来た道を帰ることにしました。つまり、マケドニヤを通り、そして、ピリピについて、そこから、船で対岸のアジア州の港町トロアスに着きました。トロアスで、使徒の働きの著者のルカが合流しました。「彼ら」が「私たち」という表現に変わりました(20章5節~21章18節まで)。パウロ一行はこのトロアスに7日間、滞在しました(6節)。そこでパウロの宣教報告会がありました。パウロは熱心に語り続け、夜が更けていきました。そのとき、ユテコという青年が眠り込んでしまい、3階の屋上から下に落ちて死んでしまいました。しかし、パウロは、この青年を生き返らせて、それから、宣教報告を続け、交わりをして、明け方に出発しました。パウロはその後、自分一人で祈り、考えることがあったようで、一行とは別に、パウロだけは陸路を通ってアソスで、船で向かった一行と落ち合いました。それから、パウロも一緒に、船にのり、ミテレネに着きました。それから船で、サモスに立ち寄り、さらに、ミレトに到着しました。(*トロアス、アソス、ミテレネ、サモス、ミレトはすべてアジア州の町々です。現在のトルコ領内です)。このミレトで、パウロは少し内陸にあるエペソに使いを出して、エペソの長老たちをミレトに呼び寄せて、最後の別れともいうべきメッセージを伝えて、ひざまずき、エペソの長老たちと共に祈りました。みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、パウロを船まで見送りました。最後のエペソの長老たちへのパウロのことば(18節~35節)は、パウロがすべてのことにおいて、エペソの長老たちにキリスト者としての模範を示す生活をしていたことを思い起こさせています。諸教会を巡回している使徒と教会の長老たちの間にある親しい信頼関係も浮き彫りにされています。
清宣教師