パウロ一行は、ミレトで、エペソ教会の長老たちと、共にひざまずき、共に祈り、涙の別れをしました。そして、ミレトから出帆してコスに直行し、ロドスを経て、パタラに着きました。(*ミレトも、コスも、アジア州の海岸線にある港町です。パタラは、ルキヤ地方の港町です)。パタラで、フェニキヤ行きの船に乗り換えて、ツロに着きました(*ツロは、ユダヤの北のガリラヤ地方の海岸線にある港町)。ツロには、クリスチャンたちがおりました。そこで、パウロは1週間ほど、このツロの兄弟姉妹たちを交わりました。ツロの兄弟姉妹たちは、パウロが出航する日になると、妻子をつれて、海岸まで見送りして、さらに、海岸にひざまずいて、共に祈りました。パウロの前途には、困難が待ち受けていることを御霊に示されていたからでした。一行はツロからトレマイに着き、そこで、1日だけ滞在し、翌日、また、船出してカイザリヤに着きました。ここには伝道者ピリポの家があり、その家に滞在しました。ここでも、アガポという預言者が、パウロの前途について、エルサレムでユダヤ人たちによって捕えられて、ローマ人たちの手に渡されると預言しました。それで、カイザリヤのクリスチャンも、パウロの一行のメンバーであったルカを含めて、パウロに対して、エルサレムに上らないように懇願しました。しかし、パウロは、堅い決意を示し、エルサレムで、たとい死ぬことがあっても覚悟していると語り、聞き入れようとはしなかったので、彼らは「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまいました。そして、ここで、改めて、「旅支度をして」(15節)と記されています。パウロ一行の覚悟が表現されているように思います。そして、パウロ一行は、エルサレムに上り、エルサレム教会の指導者であったヤコブや長老たちに挨拶して、宣教報告をしました。それから、ヤコブのアドバイスに従い、誓願を立てている4人のユダヤ人クリスチャンの若者をつれて神殿に入りました。ところが、このあと、アジアから来たユダヤ人たちが、パウロを見つけて、群衆たちを煽り立てて、大騒動を引き起こしました。それで、ローマの千人隊長がかけつける事態となりました。さらに、パウロは、捕えられてのち、ギリシャ語でローマの千人隊長に話しかけて、弁明の機会を与えられました。そこで、階段の上に立ち、民衆に向かってヘブル語で語りかけました。明日の22章では、この時の弁明の内容が記されています。今日の個所から、他の人から個人預言で警告されたからといって、それに従うことが主のみこころとは限らないことを教えられます。何があろうとも、各自に与えられている使命が最優先されるべきであるということを教えているように思いました。この場合、そのアガポたちの個人預言は無駄になるかというと、そうではなく、その預言は当事者にそれ相応の覚悟をあたえる機会となり、また、その預言のとおりに事態が進展する時、それが主のご計画であることを確認することができ、自分に与えられた使命に忠実に立ち続けることができます。個人預言の解釈のありかたは、ひとつではなく、両面ある事を知っておく必要が在ります。
清宣教師