使徒の働きも、最後の28章となりました。パウロの乗っていた船は遭難しましたが、全員、マルタ島に上陸して、いのちは助かりました。マルタ島とは、イタリヤのシシリー島の南にある島で、15日間の漂流にもかかわらず、主は目的地のすぐそばに導いて下さったのです。島の人々は大変親切な人たちでした。寒さの中を泳いでやっと浜辺にたどりついた彼らをみて、島の人々は火をたいてもてなしました。折しも雨が降っていました。極度の緊張と恐怖と寒さで震えている彼らにとって、このもてなしは最高のものでした。そこで、パウロはお手伝いをして、柴を束ねて火にくべると、熱気に耐えかねたマムシが出てきて、パウロの手にかみつきました。まさに、サタンの策略ですね。九死に一生を得たパウロに対して、致命的な攻撃でした。島の人々も、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合っていました。ところが、パウロは、腫れ上がって、たちどころに、苦しんで死ぬはずなのに、なんの害もうけませんでした。それで、島民は、パウロに対する見方を変えて、「この人は神様だ」と言い始めました。主はサタンの攻撃を用いて、主の栄光をあらわされました。パウロは、島の首長の父親を癒し、島民のうち病気で苦しんでいる者たちを癒してあげました。ですから、島民たちは、パウロの一行を非常に尊敬し、出帆にあたっては、必要な物をすべて用意してくれました。このことは、百人隊長のユリアスや兵士たち、また、乗客たちに対する大きな証しとなったことと思います。
さて、3カ月が過ぎて、アレキサンドリヤを母港とする穀物船で、船首にデオスクロイ(ギリシャ神話の神、ゼウスのふたご兄弟、という意味)の飾りのある船で、出帆しました。北上して、シシリー島のシラクサに入港し、さらに、あの長靴のかたちをしたイタリヤの最南端のレギオンに入港し、さらに、イタリヤの西の沿岸を北上して、ポテオリに入港しました。そこで、パウロはクリスチャンの兄弟姉妹に会い、7日間ほど、滞在しました。この頃は、百人隊長のユリアスも、パウロに対してはとくに寛大に処遇してくれたようです。ポテオリから、陸路、ローマへ向かいました。約180キロメートルあり、1週間の旅でした。途中地点のアピオ・ポロとトレス・タベルネの町で、ローマから約70キロメートルを歩いて出迎えに来たクリスチャンの兄弟たちに会いました。もうすでに、パウロの伝道によらない教会がローマには出来ていたようです。異邦人への使徒パウロのことは、ローマの教会にも伝えられて、尊敬をもってうけいれられていたようです。「こうして、私たちはローマに到着した」(28章15節下)。パウロに同行したルカにとって、九死に一生を得た、あの難船の思い出を振り返り、とうとう、ローマに到着した、という実感が伝わってきます。パウロは、カイザルの裁定を待つ間、丸2年間、自費で借りた家で、訪ねてくる人たちに、キリストの福音を宣べ伝えました。また、カイザル直属の親衛隊が交代で、番兵につきましたから、親衛隊の人たちもみな、パウロのこと、さらには、キリストの福音について知る機会が与えられたものと思われます。
最後は、「大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」ということばで閉じています。良く言われることですが、この使徒の働きは28章のこのことばで閉じられていますが、それは閉じられているのではなく、私たちに、その働きが継続して委ねられていることを示している、と言われています。あるいは、私たちは、使徒の働き29章を生きているとも言われています。聖霊様は、いま、私たちを用いて、神の国と主イエス・キリストの福音を語らせてくださっています。
清宣教師