2章1節~5節は、十字架のことばによる宣教について記しています。パウロの第2回伝道旅行の折には、アテネのアレオパゴスの議会では、当時のギリシャの哲学者や思想家に通用するような知恵を用いて語りましたが、あまり、魂の収穫はなかったようです。次に訪れたコリントの町では、十字架のことばを中心にメッセージしたことをパウロは回想しております。コリントでは、優れた知恵を用いずに、ただただ、十字架につけられたキリストの福音を伝えたのでした。それは、この世の知者にとっては愚かに見えることであっても、神の御霊と御力の現われを伴うものでした。
6節~9節では、神の奥義について記しています。神に敵対するサタンは、神の計画を破壊しようとして、御子イエス・キリストを十字架につけて葬ることに成功しました。しかし、神の御子は墓からよみがえり、完全な勝利を神の子らにもたらしました。十字架と復活の奥義は、神の知恵によるもので、サタンも、この世の支配者も知る者がありませんでした。まさしく、「目がみたことのないも、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に浮かんだことがないもの。神を愛する者のために、神の備えて下さったものは、みなそうである。」(9節)。
10節~16節は、御霊による啓示について記しています。昨日、例に挙げた創価学会の人たちは、合理的に考えて、十字架に秘められた神の奥義に気付くことが出来ませんでした。生まれつきの人には悟ることが出来ないのです。御霊に拠らなければ、神の啓示を理解することが出来ません。「神のみこころのことは、神の御霊のほかには誰も知りません。」(11節下句)。ところが、私たちクリスチャンは、この世の霊ではなく、神の御霊を受けたので、恵みによって神から受けた素晴らしい神からの賜物の真価を知ることができるのです。十字架の意義を知った時の感動、心の芯からあふれ出る感動の涙、罪赦された者の全き平安、これらの恵みを知ることができたのは、内なる御霊の啓示をうけてのことでした。主に感謝します。
ところで、きょうは、美田園の人たちとカラオケに行きました。前回、初めて、美田園の人たちと一緒にカラオケを体験しましたが、今回が2度目でした。午前11時集合、開店と同時に入りました。紅一点ならぬ、男子1名でした。総勢6名、私は11時から13時まで、2時間ほど、一緒に歌いました。なにしろ、歌謡曲を歌うのは、人生で、1,2度しかなかったのですから、選曲も難しかったです。でも、皆さんの熱唱を聞いていると、次第に雰囲気に慣れてきました。そして、「上を向いてあるこうよ」、「王将」、「ブルーライト横浜」など4曲を歌いました。気持ちが良かったです。次回は、ひそかに練習して、美田園の人たちを驚かせたいと内心、思ったものです。13時に、私だけ途中退出して、ララガーデンに向かいました。実は、11月30日は、結婚48周年の記念日でした。そこで、特別に奮発して、函太郎寿司店で、妻と二人で昼食をとりました。そして、いま、教会に帰り、1日1章を記しております。はじめは、美田園だけを考えていたのですが、美田園に向かう途中、聖霊様から知恵を与えられて、妻に電話をして、このように、美田園のカラオケと結婚記念日の食事の両方を実行することが出来ました。主に感謝します。
清宣教師