きょうも穏やかな温かい日となりましたことを感謝します。今日は主が造られた日です。This is the day, This is the day that the Lord has made. We will rejoice, we will rejoice and be glad in it. 「たとい、死の陰の谷をあるくことがあっても、私は災いを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」(詩篇23篇4節)。皆様の内に、主の慰めと平安が与えられますように。
さて、7章1節は、6章に続いて、神を畏れかしこんで聖さをまっとうしようというメッセージです。7章2節―4節は、前回に続いて、「心を開いて下さい」という願いを繰り返し、述べています。パウロは、自分は不正をしたことがなく、偽りの教えをしたことがなく、富に対して貪欲であったことがないと述べています。そして、コリントの兄弟姉妹を誇りに思っていると述べています。後半の5節―16節では、マケドニヤに着いたときのことを思いだしています。「あの時は、少しの安らぎもなく、さまざまな苦しみに会い、外には戦い、内には恐れがあった」と述べています。いろんなことがありました。でも、神様は、気落ちした者を慰めて下さる神様であり、まさに、パウロたちは、例えて言えば、死の陰の谷底を歩いているような状況でしたが、そのとき、コリントからテトスが朗報をもってきたので、もう大きな大きな喜びへと変わったのです(6節―7節)。テトスに会えたこと、また、テトスがコリントの教会の兄弟姉妹が、パウロたちを今も慕っていることを伝えてくれたこと、そのことで、本当に慰められたのでした。前に書いた手紙(第1の手紙とは別に、そのあとに書いた手紙)によって、コリントの教会の人たちが、とても悲しんでいることを知り、自分も心の中が苦しくなりました。しかし、手紙を書いたことは後悔していません。そして、いまは喜んでいます、と述べています。なぜなら、コリント教会のあなたがたが、真の悔い改めを示したからです。神の前での真の悔い改めは、決して、そのまま、いつまでも、死に至るような悲しみに縛りつけておくものではなく、むしろ、真のいのちに至る方向転換をもたらすからです。正しい悔い改めは、熱心、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意をもたらすのです。そして、コリント教会の人たちも、道徳的、信仰的に問題を起こした人、そして後ろで操る黒幕的な人物に対して、処罰を断行することにより、教会の潔白を明らかにしました。そのことが、パウロを安心させ、神様からの慰めとなったのです。こうして、パウロはコリントの教会の兄弟姉妹に対して全幅の信頼を置くこと出来たのです(16節)。
ところで、きょうは、いま、西多賀教会の新会堂で、旧第3仮設のグループの方々が、おはなかふぇ・クリスマスキャンドルライトの集会を開いています。そして、みなさん、菅原智子さんの指導で、ミニ・クリスマスツリーを一所懸命、作成中です。このあと、昼食の交わり、そのあと、賛美とクリスマスメッセージの時間があります。きょう、イエス様の福音を通して、みなさんが、神の恵みを受け取ることが出来ますようにお祈りください(6章1節)。
清宣教師