きょうも、薄曇りですが、寒くはないので感謝です。歩いて教会に来ました。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとありますように(13章13節)。
いつも主日の礼拝の最後に牧師が祝祷して下さいますが、その原型がこのコリント人への手紙、第2の最後に記されています。
みなさんは、明後日あたり、仕事納めとなるのでしょうか。きょうの仕事、家事、育児、介護など、それぞれのお働きが守られますように、祈ります。
パウロは、コリントの教会へ、3度目の訪問をしようとしています(13章1節)。今度は、確かな証人たちの証言によって、問題があることが事実なら、使徒としての権威により、厳しい処罰をもする覚悟であることを述べています(2節)。それはそれとして、ともかく、パウロの願いは、コリントの教会の兄弟姉妹が、それぞれ聖徒にふさわしく、「正しい行いをしてもらいたい」ということでした。「私たちはあなたがたが完全なものになることを祈っています」と述べています。パウロは、ひたすら、神のご計画の通りに、コリントの教会を築き上げたいのです。なぜなら、パウロは、神のご計画を熟知していたからです。「争い、妬み、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動」(11章20節)などは、キリストの教会とは全く無縁のもののはずだからです。それらのものを許している教会は、キリストのみこころを知らない教会なのです。パウロは、懇切丁寧に、コリントの教会を教え励ましています。手紙の最後は、「喜びを受けなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」と愛にあふれた挨拶で締めくくっています。そして、冒頭でふれたように、今では全世界の礼拝の最後に引用されている、祝祷で閉じています。
さあ、これでコリント人への手紙も、第1、第2とすべて完了しました。いつものことですが、始めがあり、終わりがあります。この地上では、どんなことにも、始めがあり終わりがあることは感謝です。仕事も、家事も、育児も、介護もみな、終わりがあります。それぞれの労苦が報われる時がきます。いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。きょう、聖霊様の満たしが、お一人おひとりの上にありますように。
清宣教師