きょうは、午前中、西多賀教会でアグローの仙台キャンドルライトの集会がありました。そのあと、昼食による交わりの時がありました。大衡村から、永井真理先生とともに、拡大宣教学院の姉妹たちが大勢参加されました。さらに、西多賀教会の姉妹たちも参加して、熱い賛美が捧げられました。真理先生のメッセージは、クリスチャンひとりひとりが兵士として、戦士としての役割を自覚して生きるようにとの勧めでした。そのあと、西多賀教会の礼拝にも参加されていた船岡教会の姉妹のお父さんが亡くなられたとの連絡が入りました。生前、お父さんが希望されていたということで、前夜式と葬儀式の司式あるいは宣教の要請がありました。早速、亘理のご自宅に伺い、船岡教会牧師の鈴木先生とご遺族の方々と話し合い、葬儀式に至るまでの準備日程などを話し合いました。その結果、鈴木牧師の司式で、私がメッセージするということになりました。良きメッセージの準備が出来るように、おいのりしていただければ感謝です。
さて、4章は、どのようにして、主をお喜ばせすることが出来るかというテーマについて、語られています。パウロはそれを実践して生きてきた人です。神のみこころの第1は、聖くなることです(3節)。不品行や情欲におぼれないことです。「神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです」(7節)と、パウロは再度、強調しています。そして、第2に、兄弟愛を実践することが、神のみこころです。さらに、テサロニケの教会の実情に合わせて、勧めをしています。それは「落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい」というものでした。ある人たちは、主イエスの再臨が近いというので、自分の仕事に身が入らず、ぶらぶらして、他人の世話になっているという実情がありました。それに対して、主イエスの再臨が近いとしても、自分に与えられた今の責任を果たし、落ち着いて生活することが、主のみ心であることを示しました。また、主の再臨との関係で、再臨の前にすでに死んでしまったものには、再臨の祝福と救いの完成にあずかることができないのではないか、との間違った理解から、悲しみに沈んでいる信者たちもいました。そこで、パウロは、悲しみに沈むことなく、再臨に関する正しい理解に基づいて、信仰を保つように勧めました。正しい理解とは、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きの内に、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っているものたちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」という理解です(16節、17節)。こうして、再臨の前にすでに死んだ信者も、再臨まで生きていた信者も、いつまでも主とともにいることが実現するということです。そこで、パウロは、最後に、こう言います。「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」(18節)。
このように、私たちは、キリストを信じる神の家族の一員として、お互いに、神のみこころに沿う生き方を求めて、みことばをもって、励ますように勧められています。今日の個所から教えられたことは、聖くなること、互いに愛すること、落ち着いて生活すること、みことばの約束をもって互いに慰めあうこと、などです。
清宣教師