きょうは、大雪になりそうで、心配です。今日の夕方6時から、亘理町にあるフローラメモリアルホールで、佐藤重男さんの前夜式があります。明日は、同じ場所で10時半から葬儀式があります。午後1時半から火葬です。船岡教会の鈴木牧師が司式されますが、メッセージは、どちらも私が担当します。往復の道が守られて、無事、御奉仕できるように願っています。前夜式では「罪の赦し」、葬儀式では「永遠のいのち」という題目で宣教します。ご遺族の方、知人、友人の未信者の方々に福音を伝えますので、サタンの妨害から守られ、また、聖霊様により、参列者の方々の心に福音が届くことが出来ますように、お祈りをお願いいたします。
さて、テサロニケの第2の手紙は、第1の手紙が書かれてから、およそ半年後、おなじコリントの町で、書かれたものと思われます。差出人の名前も、第1の手紙と同じ3人の名前が記されています。その事情ですが、パウロが、テサロニケの教会に出した手紙の中で触れた「主の日」に関する誤解が生じたようです。主の日はすでに来たと解釈する者が現われて、教会の中に動揺が起こったようです。この第2の手紙は、テサロニケの教会の人たちが再臨に関する正しい理解をもつように願って書かれた手紙です。
1章では、苦難に対する励ましの言葉を述べて、さらに、信じない者には神の報復があることを述べており、そして、「あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きをまっとうしてくださいますように。」(1章11節)と祈って、1章を閉じています。
2章では、いよいよ、再臨の問題を取り上げて、主の日はまだ来ていないこと、主の日の前には必ず背教が起こり、不法の人が現われることを指摘しています。そして、主の再臨によって、その不法の人は来臨の輝きによって滅ぼされることを伝えています。
3章では、パウロは自分たちの宣教の働きのために祈って欲しいと要請しています。パウロは、ここで具体的に3つのことを祈ってくれるように要請しています。ひとつは、「主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まりますように。」、ふたつめは、「ひねくれた悪人どもの手から救い出されるように」、みっつめは、「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように」との祈りでした(3章1節~5節)。
次に、締りのない生活をしている人たちへの注意がなされています。締りのない生活とは、具体的には、何も仕事をせず、おせっかいばかりする人たちの生活をさしています。パウロ自身がテサロニケの教会にいたときは、自分の手で昼も夜も働いて、誰にも負担を掛けないようにして、宣教の働きをしました。それは権利がなかったからではなく、テサロニケの兄弟姉妹に見習ってほしいと思ったからでした。そのことを思いだすようにというのです。そして、パウロは、主イエス・キリストの御名によって勧めています。「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」また、これと違ったことを言う人とは交際しないように注意しています。同時に、このような兄弟姉妹を敵とはみなさず、兄弟姉妹として戒めるという態度が大事であることを指摘しています(3章6節~15節)。最後に、「どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えて下さいますように」、「どうか。主があなたがたすべてと、ともにおられますように」と、ふたつの熱い祈りを捧げ、締めくくりの挨拶と祝祷で、この手紙を閉じています(3章16節~18節)。
短い手紙ですから、1章から3章まで、一気に読んでみると、不思議に理解が深まります。試してみて下さいね。
きょうも、「どんな時も、主は私の力です」と、元気に告白して、進みましょう。たとい大雪でも、この約束は真実です。
清宣教師