テモテへの手紙(第1、第2)とテトスへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれています。教会(信徒たち)を牧するという意味です。著者はパウロです。受取人はエペソの教会で牧会伝道にあたっていたテモテです。おそらく、紀元64年~66年の間に、マケドニヤの地で書かれたと考えられています。テモテの父はギリシャ人、母はユダヤ人でした(使徒の働き16章1節参照)。母親の名前はユニケ、祖母の名はロイスでした。ユニケは非常に敬虔な信仰者で、祖母とともに、テモテの信仰の成長に大きな役割を果たしました(テモテへの手紙、第2、1章5節)。パウロはこのテモテを第2回伝道旅行の途中で、宣教チームのメンバーとして迎え入れました。テモテは若くして、評判が良く、素質にも恵まれていた人でした。その後、パウロに見込まれて、エペソの教会の牧会のために遣わされましたが、牧会の困難に直面して、ストレスで胃腸障害を患う程でした(5章23節参照)。パウロは、霊的な父親として、先輩として、動労者として、テモテをわが子のように可愛がっていました。それで、テモテの牧会を助けるために、牧会について懇切丁寧に教え、励ましたのが、このテモテへの手紙です。手紙の中心のテーマは、「神の家(教会)でどのように行動すべきか」でした。牧会とは何か、牧会者とは何か、その本質と実際について解き明かしています。エペソの町は、アジア州の州都で、エペソにある家の教会は急速に成長していきました。このエペソ教会の宣教を通して、黙示録2章や3章に記されている7つの教会が誕生したと言われています。テモテへの手紙が記された紀元64年頃には、すでに、エペソの教会は6万人くらいの教会に成長していたと思われます。その後、絶頂期には10万人ほどのクリスチャンたちの群となり、エペソの町の経済にも影響を与えるような存在となって行きました。テモテとしては、このような大教会を牧会することに、ある意味、自信がなかったのかも知れません。パウロは、このテモテに、牧会の助言を与えたのでした。
1節-2節:個人的な挨拶。信仰による真実のわが子テモテと呼んでいます。パウロの率直な気持ちを表現しています。
3節‐11節:違った教えと健全な教え。果てしのない空想話や系図ではなく、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすことに、焦点をあてるべきです。つまり、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰から出てくる愛を目標とすべきであって、その目標から目をそらさせるものは、無益です。
12節‐17節:パウロの証し、牧会者の力の源泉。パウロは自分が罪人の頭であることを自覚していました。しかし、一方では、それにもかかわらず、この上ない寛容を示してくださる神を自覚していました。
18節―20節:テモテに対する勧告。個人預言を大切にする必要があります。それは神からの励ましであって、個人預言は、私たちに対して、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦いぬく力を与えてくれるものだからです。
きょうは、亘理のフローラ・メモリアルホールで、葬儀式が執り行われました。そこで、昨夜の前夜式に続いて、福音を語る機会が与えられました。昨日は、「罪の赦し」、きょうは「永遠のいのち」についてメッセージさせていただきました。皆様のお祈りの支援により、導かれました。今年の一文字は、「奏」という字でした。この素晴らしい福音を、イエス様の愛と平和と喜びをもって、ひとりひとりのこころに届くものとして、奏でたいという目標から出たことばでした。きょう、それが実現したと思います。皆様のお祈りを感謝いたします。
清宣教師