寒波が過ぎ去り、少しだけ、温かくなりました。感謝します。
きょうの3章では、1節―7節で、監督(今の牧師に相当すると思われます)の資格、8節―13節で、執事の資格、そして、14節―16節で、この手紙の執筆事情について述べています。
まず、監督(牧師)の資格ですが、15の項目が挙げられています。①非難される所がない人、②一人の妻の夫であること、③自分を制すること、④慎み深いこと、⑤品位があること、⑥よくもてなしをすること、⑦教える能力があること、⑧酒飲みでないこと、⑨暴力を振るわないこと、⑩温和であること、⑪争わないこと、⑫金銭に無欲であること、⑬自分の家庭を良く治めていること、⑭信者になったばかりでないこと、⑮教会外の人にも評判が良いこと、などです。これを読むと、いわゆる霊的な条件というのが記されていないことに気が付きます。例えば、「神を第1とする人」とか、「良く祈る人」、「聖書をよく読む人」とかというものが記されていません。それは、すでに、当然のこととして、パスしていると考えられます。あるいは、逆に、エペソ教会では、霊的であることを強調するあまり、非常識で、人格的に問題あるひとを選ぼうとしていたのかも知れません。これを読む限り、実際生活のなかで御霊の実である、良き人格を持つ人の中から選ぶように勧めていると思われます。
次に、執事についてですが、①謹厳であること、②二枚舌を使わないこと、③大酒のみでないこと、④不正な利をむさぼらないこと、⑤きよい良心をもって信仰の奥義を保っていること、⑥非難される点がないこと、⑦一人の妻の夫であること、などが条件として記されています。使徒の働きでは、「御霊の知恵とに満ちた、評判の良い人を選びなさい」(使徒の働き6章3節参照)と記されています。
さらに婦人執事について記されていますが、「威厳があり、悪口をいわず、自分を制し、すべてに忠実な人」であることが求められています。これは女性に限られたことではないのですが、女性は他の人たちのうわさをして、とくに、その人のいないところで、悪口を言って、人間関係を台無しにすることが往々にしてあります。
監督も、執事も、婦人執事(あるいは、執事夫人)も、謙虚に、しかし、信仰においては大胆に、祈りつつ、御霊の導きを日々求めて生きることです。
最後に、使徒パウロは、この手紙を書いた目的について述べています。もしも、パウロのエペソ訪問が遅くなっても、テモテが教会の中で牧会者としてどのように行動すべきかを知っておくための指針を書いたものです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。神の家とは、神の子供たちによって構成される家庭を意味しています。この家庭をおさめられるのが、生ける神です。また、この教会は真理の柱また土台ですとは、柱は建物の重要な支えとなっています。土台もまた建物の重要な支えとなっているものです。教会は、この世界の柱また土台としての役割を果たすべく、キリストが全世界に建てられたものです。主は教会を通して、世に対して、とても大きな働きを成そうとしておられます。パウロは、真理の内容を、6行詩でまとめています。この6行詩は、初代教会の時代の賛美歌の一部だったと考えられています。キリストは受肉され、死からの復活を通して、霊において義と宣言されました。そして御使いたちに注目され、全世界に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに天に上げられたのです。教会は、この地上で神のご計画を実現する核となるところです。このような教会を建てあげるために、クリスチャンたちがどのように行動すべきかを教える必要があります。それが監督、執事、婦人執事の役割なのです。
清宣教師