2月4日(土曜日)から6日(月曜日)まで、テトスへの手紙です。明日からお休みなりますので、全体をかいつまんで説明することにします。
テトスへの手紙は、地中海の島であるクレテの教会に宛てて書かれた書簡です。パウロは第3次伝道旅行の後、逮捕されて、ローマへ護送される途中で、このクレテ島に立ち寄ったことがあります(使徒の働き27章7節以下)。しかし、この島に、いつごろ、キリストの教会が形成されたかということについては聖書には記されていません。また、歴史の初資料においても、その経緯は不明のようです。
ところで、クレテの教会の状況ですが、テトスへの手紙から推測すると、教会員の生活は乱れており、老人は怠け者で不謹慎であり、年老いた婦人は大酒飲みでうわさ話に明け暮れていたようです。また、若い女性も怠けもので身持ちが悪かったようです。これはクレテ島に住む人たちの民族性でもあったようです(1章12節、13節参照)。どうやら、キリストの福音による救いと実際の日常生活は無関係ものであると理解していたようで、新生したクリスチャンとは言えない生活態度でした。キリストの福音に反抗する者、ユダヤ教に固執する者、人を惑わす者たちもいました。こうしたクレテの教会の状況を憂えたパウロが、テトスに手紙を送り、創造主なる神の権威のもとに、教会の矯正を試みるように命じたものがこの手紙です。
受取人はテトスとなっていますが、おそらく、クレテの教会のクリスチャンすべてに宛てて書かれたものと考えられます。ガラテヤ人への手紙、2章1,2節を見ると、テトスは、異邦人回心者の救いの実の見本として、パウロとバルナバによって、エルサレムまで連れて行かれたようです。こうして、テトスは、パウロの異邦人伝道の証しに用いられるほどに、パウロの宣教の協力者であったと考えられます。この手紙の1章では「健全な教え」について記されており、2章は、さまざまな年齢や性別、状況にある人への教訓が記されています。また、3章には、権威に対する服従が要請されています。全体として、平易な書き方であり、クリスチャンとしての日常生活をおくるための具体的な指針として、参考になると思われます。全体的に、牧会的な配慮が滲み出た手紙です。3章では、「私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛が現われたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救って下さいました。・・・」と福音の真髄を示して、愛をもって教えています。どうぞ、ゆっくり、味わって下さい。
清宣教師