へブル人への手紙を書いた人物が誰であるか、また、宛先、また、執筆年代についても、明確な見解はないようです。ただ、内容をみると、1世紀の迫害の中で苦しんでいるクリスチャンたちに対して、牧会的な配慮のもとに書かれた勧めと慰めのことばの手紙であることが分ります。また、手紙の内容から、受取人たちは、旧約聖書の知識、幕屋や祭司、いけにえ、契約に関する知識、旧約聖書に登場する人物にも精通していた人たちであると考えられます。つまり、ユダヤ教から改宗したクリスチャンであったと考えられます。それで、「へブル人への手紙」と呼ばれるようになったのかも知れません。
紀元49年にはローマのクラウデ皇帝の迫害、64年の皇帝ネロの迫害、75年のドミティアヌス皇帝による迫害が、クリスチャンたちを襲いました。また、その迫害というのは、偏見に基づいたもので、教会では人間の肉を食らい、血を飲む者だと言いふらされていました(主の晩餐のことを曲解された)。また、家庭を破壊する者と言われました(親は子に、子は親にさからうというみことばが局解された)。さらに、皇帝崇拝をしなかったので、国賊視され、反逆民扱いされました。また、放火魔あつかいされたこともあります(世の終わりの日の火による裁きのことを曲解された)。財産を没収され、残虐な方法で殺された者たちも莫大な数に上りました。
このような過酷な状況の中にあるクリスチャンたちは、信仰の戦いを良く戦い、苦しむ同胞たちを助けあうことを忘れませんでした。へブル人への手紙6章10節、10章32節~34節に記されています。他方で、あいつぐ迫害によりうみつかれ信仰の後退を余儀なくされる者たちも出てきました。また、信仰以前の生活に転落する人たちも出てきました。
そのような激しいゆさぶりのなかで、宣べ伝えられた福音の真髄をしっかりと心に留めて押し流されないようにと忠告しています(2章1、3,4節参照)。また、神は真実な方ですから、動揺しないで、しっかり、希望を告白し続けるように勧めています(10章23節)。そして、有名なみことばがあります。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(12章2節)。
へブル人への手紙の全体のメッセージは、「私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、憐みを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(4章16節~16節)という個所に要約されています。
難しい個所もありますが、心を開いて、へブル人への手紙を読んでみましょう。
清宣教師