ピレモンへの手紙は、新約聖書の中でもユニークな手紙です。パウロの13の手紙の中で、最も短い手紙です。パウロの手紙は、教会宛ての手紙が多いですが、個人あての場合も、テモテやテトスなど、後輩の伝道者あるいは牧師あてに書かれた手紙です。唯一、例外が、このピレモンへの手紙です。これは一人のクリスチャンに宛てた私信です。ここには、パウロの神学的な展開や弁明もなく、まさに、個人的な内容です。では、なぜ、これは新約聖書の一部となったのでしょうか? 実は、多くの人が、そのことを疑問に思っていた事柄でした。摂理としか言いようがないように思います。不思議なことに、このような個人的な手紙が残されたことにより、パウロの人となりだけでなく、当時のクリスチャンの交わりの一端をうかがい知ることが出来るのです。この手紙が書かれたのは、イエス様の十字架の出来事から約30年くらいたったときであると言われています。この手紙は、パウロが最初にローマに囚人となっていた時に、ピレモンに宛てて書かれました。受取人のピレモンは、コロサイの人で、裕福な生活をしており、奴隷をもち、パウロが宿泊の依頼ができる(22節参照)ほどの広いスペースの家だったようです。ピレモンはパウロから同労者と呼ばれているので、福音の伝道に携わっていた熱心なクリスチャンであったようです。多くの聖書学者が指摘するように、2節のアビヤが、ピレモンの妻であり、アルキポが息子であったとするなら、まさにクリスチャンホームとしての家の教会ということになります。
ところで、パウロがこの手紙を書くことになった事情ですが、ピレモンの家の奴隷であったオネシモが、その家庭から盗みをして、ローマに逃げて、逃亡生活をしていました。その中で、オネシモはパウロとの出会いが与えられて、キリストを信じて、回心しました。本来、オネシモという名前は、「有益な」という意味です。当時のローマ帝国では、奴隷の逃亡は重罪であり、一般的に、主人によって処刑されるのが普通でした。そこで、パウロは、いまはクリスチャンとなったオネシモのために、主人であるピレモンに、執り成しの手紙を書くことにしたのです。オネシモは霊的な意味でパウロが生んだ子でした。それで、「獄中で生んだわが子オネシモ」(10節)と呼んでいます。そして、ユーモアを交えて、キリストにあってオネシモは、「役に立たない者」が名前の通りに「役に立つ者」となりました。そのオネシモをあなたのもとに返します(11節)と言い、しかも、オネシモは「私の心そのものです」(12節)とも書いています。逃亡という大罪を犯したものだけに、パウロは、慎重に、愛によってお願いしています(9節)。いくらパウロが使徒であっても、この点については、「あなたの同意なしには何一つすまい」と思いましたと記しています。あくまでも、強制ではなく、自発的な赦しをお願いしています。さらに、損害が生じている場合は、その損害をパウロが支払いますと保証しています(18節、19節)。まさに、パウロがしていることは、イエス・キリストが私たちのために、十字架の上で罪の支払いをなしてくださった模範を見る思いです。恵みで始まり、恵みで終わっています。どうぞ、この手紙の趣旨を踏まえて、充分に味わって下さい。
清宣教師