ペテロの手紙(第1)の著者ですが、1節に、「イエス・キリストの使徒ペテロから」と記されているので、使徒ペテロが著者であることは明らかです。また、宛先ですが「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジア、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々」と記されていますから、小アジアの町々の教会の人たちに送られた者であることが分ります。
さて、ペテロがこの手紙を書いた意図ですが、ペテロは、手紙の対象となった人たちが置かれている苦境を良く知っていました。その苦しい現実を直視しながらも、各自の持ち場、立場に置いて、主なる神の恵みを味わい知り、そこに堅く立ち、善をおこない、積極的に戦い進め、と宣言しています。
それは、イエス様が十字架の苦難の道へと歩みを進める直前に、最後の晩餐の終わりに、イエス様がペテロを含めた12弟子たちに遺した最後のことばを思い起こさせます。「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネの福音書、16章33節後半)というみことばです。「世にあって」とはどういうことなのか、世に生きるとはどのようなことなのか、世にあって宣教命令を果たすとはどういうことなのか、これらのことが、ペテロの手紙、第1の中で展開されているテーマなのです。ヤコブの手紙4章でも述べましたが、世にあるとは、クリスチャンにとっては必然的に戦いや艱難に直面することを意味しています。しかし、現実の世の中で、成熟したクリスチャンは勇敢に戦い進むほかに道はないのです。そのために、すでに世に対して勝利をおさめられた主イエス様の恵みを味わい知るように、ペテロはこの手紙を書いています。
清宣教師