3章では、ペテロは、「同じように」(1節、7節)と記してキリストの模範にならうことが成熟したクリスチャンの生き方であることを示しました。4章1節でも、「このように」ということばで始まります。主イエス・キリストは十字架の苦しみを通して勝利されました。今、迫害に会い、各地に寄留しているクリスチャンたちよ、いまこそ、地上での迫害の中にあって、キリストと同じ明確な自覚をもって過ごすべき時であると述べています。つまり、「神のみこころのために過ごす」ことを第1に考えるように勧めています。すべての人は、創造主によっていのちを与えられ、御子キリストによって召された者たちです。それは「神のみこころのために過ごす」という自覚をもって生きる人たちです。「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」(1節~6節)。
ローマ帝国では「燃えさかる火の試練」(12節)が待ち構えています。そのまえに、ペテロは、万物の終わりが近づいているのだから「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」(7節)と勧めています。さらに、クリスチャンとして愛に生きること、そして、使命に生きるように勧めています。「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕えあいなさい。」、「ふさわしく奉仕しなさい」と勧めています。すべてのことにおいてイエス・キリストを通して神があがめられるためです。」と勧めています(7節~11節)。
燃えさかる火の試練が、近づいています。そのことを驚き怪しむのではなく、「キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい」(13節)とペテロは勧めています。そして、「キリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。」とも述べています。ペテロに関して思い出されるのは、主イエスが十字架につけられる前の晩、大祭司の庭で、ペテロは3度、「イエスを知らない」と言ったことです。キリストの御名のゆえに受ける非難を恐れたからでした。しかし、そのことを、一生、後悔することになったのです。ですから、ペテロは、自分が犯した過ちを、この手紙の受信者たちに、犯してほしくないのです。その取り返しのつかない失敗の原因となったのが、ペテロ自身の高慢や祈りの備えの欠如があったのです。ですから、あらかじめ、祈りの備えをして、神の前にへりくだって備えるように勧めているのです。「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善をおこなうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」。ペテロは成熟したクリスチャンは燃えさかる火の試練にあうと述べていますが、その理由については触れていません。ただ、そのような現実の中で、万物の創造主を信じて、万物を完成に導かれる主のご計画を信じて生きることを勧めています(12節~19節)。
清宣教師