きょうから、新約聖書の最後の書であるヨハネの黙示録に入りました。2014年1月2日に創世記1章から始まり、ほぼ、3年3か月が経過しました。小さな一歩も、持続すると、大きな一歩になりますね。
さて、著者のヨハネは、イエス様の12弟子のひとり、使徒ヨハネです。紀元80年以後に、ヨハネは流刑の身であったパトモス島(9節参照)で、神から直接、幻を受け、聖霊の導きのもと、世の終わりの出来事をつぶさに見せられて、この黙示録を書いたものと思われます。書名の『黙示』とは、ギリシャ語で『アポカリュプシス』で、「アポ」とは、「取り除く」、「カリュプシス」とは「覆っている物」を意味します。黙示とは、覆いを取り除くことです。
ところで、黙示録ですが、私の手もとにも、いま、10冊ほどの注解書があります。直接的な描写については、解釈の違いはないのですが、象徴で示されている記述については、それぞれの解釈がことなります。これまでの歴史において起こった出来事と黙示録の預言を対比して、預言を解釈しているわけですが、人によって解釈がことなります。ごく最近ですが、黙示録のある個所が、トランプ大統領(不動産王)の出現を預言している、と主張する方もおられます。しかし、私自身は、ひとつひとつの事例について判断することは難しいので、これまでの経験から、あまり突飛な解釈ではない、基本的な解釈を取り上げて紹介したいと思います。
1章1節では、この黙示は「すぐに起こるはずの事」を示すために与えられたものであると記されていますが、具体的には、1章19節で、「あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事」を書き記したものであると説明されています。まず、2章~3章では、7つの教会の御使いに書き送られたメッセージが記録されています。その7つの教会とは、1章11節に記されていますが、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤの教会です。これらの教会は、聖書の巻末の地図でだどってみると、エペソから始まり、馬蹄形のかたちに分布しています。Ω(オーム)の形です。左下から始まり、上にぐるっとまわり、最後に、右下に来ます。
さて、13節~16節では、主イエス様の御姿が描写されています。ここで注意すべき点は、「・・・のように」と記されていることです。つまり、イエス様の髪の毛は「白い羊毛」からできているのではなく、「白い羊毛のように」「白い雪のように」見えたと伝えているのです。ヨハネは注意深く、・・のように、と繰り返し述べています。ヨハネにとっては、初めて見るものであり、自分の経験から記述するには、・・のように、と記す以外になかったものと思われます。あまりにも主イエス様の御姿が明確に示されたので、ヨハネは、気を失いそうになり、その方の足元に倒れて死者のようになりました。人間として、生ける神の御子の前に出ることは、あまりにも恐ろしい事でした。しかし、主イエス様は、ヨハネに対して、「恐れるな」と語られました。また、「わたしは、最初であり、最後であり、・・・・」とご自分を紹介されて、その後に、「あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書き記せ」と命じられました。
ところで、主イエス様の周りには、12節にあるように、7つの燭台があり、16節にあるように、イエス様は、右手に7つの星をもっていました。その解き証しですが、20節にあるように、7つの星は、7つの教会の御使いであり、7つの燭台は、7つの教会を表すものでした。このように、ヨハネ自身が解き明かしをしている場合は、そのまま理解すればよいのですが、そうでない場合の解釈が、注意を要します。
それでは、黙示録の世界へ、どうぞ。
清宣教師