16章にはいります。イエス様の十字架は、イエス様がご自分のいのちを犠牲にされた贖罪のみわざでした。しかし、いま、地上に残っている人たちは、どのようにしても悔い改めようとしない人だけでした。キリストの愛、神の愛を侮辱し、キリストの血を汚れたものとみなして足で踏みにじった人たちだけとなりました。
そこで、7人の御使いが、この地上に神の激しい怒りの7つの鉢を地に向かってぶちまける時がきました。
第1の御使いが鉢をぶちまけると、ひどい悪性のはれものが出来ました。
第2の御使い、第3の御使いが、次々に、鉢をぶちまけると、かつてのエジプトでのモーセの奇蹟の時のように、海や川、それに水の源が血に変わりました。罪のない者の血を流した罪を刈り取ることになります。
第4の御使いが太陽に向けて鉢をぶちまけると、太陽が激しく燃え上がり、その炎熱で人々は焼かれます。
第5の御使いが鉢を獣の座にぶちまけると、今度は太陽は暗くなり、暗やみの裁きが続きます。
第6の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけると、東の方の国々(中国、インド、日本?)などの軍勢が中東に集結します。そして、最終決戦がなされます。そのため、竜(サタン)、獣(反キリスト)、偽預言者(宗教界の大指導者)の3者が、あたかも三位一体の神のように、一致して、全世界の政治的指導者を惑わし、ハルマゲドンに集結します。ハルとは「丘」、メギドンとは「皆殺し」という意味です。
そして第7の御使いが鉢をぶちまけると、天の聖所で、「事は成就した」との宣言がなされます。そして、地上では、大バビロンの都は、3つに裂かれて、倒れます。1タラント(35kg)の雹が天から降ってきます。こうして、段階を追って神の裁きが成就していきました。なお、大バビロンとは過去のバビロンではなく、この世を象徴していると思われます。
このように見てくると、今の平和が主の憐みと恵みによる平和であることが分ります。私たちは今日、主が置かれた場所で、主を賛美し、主に感謝し、神のこどもたちとして、執り成し祈り、主のみこころを行う者として共に生きる神の家族であることを宣言します。主の癒しと解放と回復の奇蹟を祈り求めます。
清宣教師