さて、18章ですが、1節に、非常に大きな権威をもっておられる御使いが登場しますが、多くの注解者は、イエス様のことではないかと推測しています。ところで、17章では、宗教都市、再興ローマの滅亡について預言されていました。18章では、世界帝国、文明帝国の象徴としてのバビロンの滅亡が預言されています。8節に、一日のうちに滅びることが記されています。バビロンは人間中心主義の大帝国であり、その技術水準は世界最高のものであり、誰も一晩で滅びると想定したものはいませんでした。
9節~20節には、3種類の人たちが登場します。最初は、地上の王たちです(9節)。第2は、地上の商人たちです(11節)。第3は、すべての船長、すべての船客たちです(17節)。それぞれに共通していることは、遠く離れて見ていることです(9節、15節、18節)。ある注解者は、遠く離れて立つ以外にないことから、核による破滅ではないか、つまり、死の灰を恐れて遠く立っていると理解しています。
さらに、もうひとつの共通点は、一瞬のうちに滅びたことを証言していることです(10節、17節、19節参照)。バビロンは、経済の超大国であり、富の力で全世界を惑わす存在でした(23節)。そこでの商品のリストが12節、13節に記載されています。金、銀から始まり、商品価値として高価な順にリストアップしていると考えられます。その最後が、最も価値のない商品として人のいのち(直訳では人の魂)が挙げられています。そのひとつ前には、奴隷(直訳は肉体)が挙げられています。臓器売買など、人間の肉体の価値も非常に低いのです。バビロンのような経済の超大国では、利潤をもたらすものが最高の価値をもち、利潤をもたらさないものは最低の価値とみなされます。貧乏人や介護されるもの、弱者は利潤をもたらさないので、バビロンでは価値のないものとなるのです。そのサタンの惑わしにより、人々はユダのように、イエス様の価値よりも、銀貨30枚の方が価値があると判断してしまうのです。私たちが生きている現在も、そのような惑わしが確実に忍び込んでいます。みことばと聖霊様の導きにより、人間の真の価値観を失うことなく立たなければなりません。聖書の創造論は、人間の真の本質、価値を明確にする、大事な宣教の働きです。
18章までくるのは、人間的にはつらいものです。しかし、19章に入ると、一転して、天の大群衆の賛美が聞こえてきます。
清宣教師