皆様、新しい出発、おめでとうございます。黙示録22章のゴールは、ちょうど、東京オリンピックが開催される2020年7月の上旬の見込みです。最後まで、完走しましょう!!!!前回のシリーズの中で、毎朝、読みたいとの要望がありましたが、ご期待に沿えませんでした。それで、今回は、前日の夕方(5時~8時)の間に配信しようと思います。なお、前回は、日曜日と月曜日の配信を休みましたので、虫食いのような状態になっておりましたが、今回は、連続で、黙示録22章まで配信したいと考えています。この1日1章は、霊的な基礎体力をつけるための主食(お米やパン)と考えて配信しております。どうぞ、基礎体力のアップのためにお用い下さい。
さて、聖書の最初の書、創世記、その冒頭のことばは、[初めに、神が天と地を創造した]で始まります。このことばは、同志者大学の創立者の新島譲をはじめ、多くの方々が聖書の神を真の神として信じるきっかけとなったことばです。「初めに」とは「時間」、「天」とは「空間」、「地」とは「物質(質量)」を表しています。古代キリスト教の神学者、アウグスチヌスは、「世界は時間の中に創造されたのではなく、時間と同時に創造されたのである。」と述べました。ふつう、この世界は、永遠の時間の流れの中で、創造されたのかな、と思ってしまいますが、アウグスティヌスは、そうではなくて、創世記1章1節が述べていることは、時間も同時に創造されたのだということを発見しています。これは、とても大事なことです。20世紀最大の科学者といわれるアインシュタインは、「時間」と「空間」と「物質(質量)」は、それぞれ独立した性質を持っているのに、これらのひとつだけを取り出すことは不可能であり、「時間」と「空間」と「物質(質量)」は、つねに連続体として存在することを発見しました。そして、時間と空間と物質(質量)の頭文字をとって、時・空・質量・連続体となづけました。
私たちを含めて、すべての目に見える存在は、この時間と空間と物質(質量)を与えられて、存在しています。どれかを失ったら存在することが出来ません。まさに、創造主は、創世記1章1節で、目に見えるすべての存在の根拠を創造されたのです。一方、もうひとつ、大事なことは、時間と空間と物質を創造された方は、その中に束縛されるお方ではありません。私たちは皆、時間と空間と物質という枠の中で存在していますが、創造主なる神は、この時間と空間と物質を創造されたお方であり、時間や空間や物質に囚われることのないお方です。たとい、この宇宙が存在しなくても、時間が存在しなくても、人間が存在しなくても、「わたしはある」と宣言されるお方です(出エジプト記3章14節、詩篇90篇1節参照)。
創世記1章は、創造の6日間を記しています。創世記2章1節~3節の安息日を含めると、創造の1週間となります。創世記1章の主語は、すべて「神」です。30回です。7日目には「神」が3回、使われていますから、創造の1週間では、合計、「神」ということばが33回使われています。しかし、いすれにせよ、人間が主語として使われているのは一度もありません。つまり、創造の1週間は、創造主なる神がすべてを成し遂げられたことの記事であって、人間はそこに関与しませんでした。
創世記1章は、創造の6日間を記したものですが、そこに共通のパターンがあることに気付きます。創造の6日間は、1.主は仰せられた。「○○よ、あれ。」。2.そのようになった。3.神はそれを見て「良し」とされた。4.夕があり、朝となった。第○日。という記述が繰り返されています。一言で言えば、万物は神のみことばによって創造されたことを表しています。「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(へブル人への手紙11章3節)と記されている通りです。
ご存じのように、創世記1章は、この1日1章では、到底、書ききれないほどの内容を含んでおります。なにしろ、すべての起源について記しているからです。創世記1章を読むなら、無神論、唯物論、多神教、人間中心主義、進化論などは、すべて偽りであることが明らかです。創造主は、この世界を愛をもって創造されました。神の夢は創世記1章を見れば書いてあります。あれから何千年と経ちましたが、その夢はいまだに神の心に抱かれています。それは、ご自分の民を神のかたちにするということ・・・神が見るように見、神が考えるように考え、神が話すようにそのまま話す人々、神が歩むように歩み、神がするように行い、イエスのようにこの地上で、目で見えるお手本である人々です。
神のかたちに造られた私たち、きょう、イエス様の似姿として、笑顔で歩みましょう。
清宣教師