さて、黙示録22章ですが、新しいエルサレムには、水晶のように光るいのちの水の川がありました。それは神と子羊(御子イエス様)の御座から出ていました。都の大通りに流れ、川の両岸にはいのちの木があり、12種の実がなり、毎月、実が出来ました。創世記2章の神の園では、いのちの木は一本だけでしたが、ここではたくさんのいのちの木があります。毎月、あらゆる種類の実がなり、いのちの木の葉は、諸国の民をいやすものでした。
そのしもべたちは、神に仕えます。彼らは永遠に王である(5節)と記されていますから、神の御子に永遠に王として奉仕するようです。地上での奉仕は、人間的な不完全なものが含まれますが、天においては、完全な奉仕として神に仕えるようになります。彼らは、神の御顔を仰ぎ見ます(4節)。神の栄光を仰ぎ見る時、彼らの内側に神の栄光が差し込み、内なる鏡に栄光を写し、その栄光が外へと輝き出ます。御子イエス様は、「しかり、わたしはすぐに来る」(12節、20節)と仰せになります。それに対して、神の民である花嫁は、御霊と共に、「主イエスよ、来てください」(17節、20節)と応答するのです。主イエス様は再び来られます。再臨されます。私たちは、この約束をしっかり、握りしめて、主の再臨を待ち望みましょう。
きょうは、1日1章の最後の個所、黙示録22章でした。復活されたイエス様が、エマオへの街道の途中で、弟子たちに会った時、聖書全体の学びがとても重要であることを弟子達に示されました(ルカの福音書26節、32節)。聖書全体を通読して、学ぶことは、神のご計画を理解するうえで、とても重要です。こうして、創世記1章から黙示録22章まで、長い間、お付き合いいただいたことは感謝です。私にとっては、25年前に牧師となってから、7巡目の1日1章です。そして、この地上での人生の最期は、新しい天での人生の最初を意味します。また明日から、新しい1日1章が始まります。
清宣教師