さて、きょうのところ、1節と2節を読んで驚きました。今まで、あまり重大性を感じなかった個所です。ところが、きょうは、読んでいて衝撃を受けました。「神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした」(2節)。その結果、「人の齢は、120年にしようという」神の裁きの宣告を受けたのです。自分の妻を選ぶのに、自分が好きな美しい女性と結婚するのが、ごく当然のこととして通用しています。しかし、この聖句は、裁きの宣告と結び合わされていて、重大な意味をもっているように感じました。創造主が人類の祝福の土台として定めて下さった結婚においては、「美しい女性を見て、その中から好きなものを選んで、自分たちの妻とする」ことは、主が定められた結婚とは違うということです。主は、そのような結婚を望んでいる者たちに対して、「わたしの霊は、永久には人のうちにはとどまらないであろう」と裁きの宣告をされました。
一方、旧約聖書の中で、サラも、リべカも、ラケルも、エステルも美しい女性であったことが知られています。しかし、結婚に関しては、「美しい」とか「好き」というエロスの愛ではなく、主の導きを求めることが求められています。それは、あとで明らかになりますが、ヤコブは、自分が好きな美しいラケルと結婚しましたが、必ずしも、幸せな家庭を築いたとは言えませんでした。むしろ、神様は、ヤコブから嫌われている、醜い(?)レアとの結婚を祝福されました。
創世記2章では、主ご自身が、エバをアダムのもとに連れてきて、紹介しました。主の導きによる結婚は、アガペの愛で結び合わされた結婚です。つまり、そこには『赦し』があるということです。自己中心のエロスの愛が地に満ちる時、創造の秩序が破壊され、悪が増大することを、6章1節~7節は、示唆しています(5節)。
ところで、神様を知る前に結婚していたからと言って主の導きではなかったと結論付けるのは早計です。そのことについては、コリント人への手紙の中に書いてあります。主の御手は、私たちの思いや考えをはるかに超えています。すべてのことは、主の御手の中にあります。私たちが、心から、主の前に、夫婦の一致を願い、祈り求めるなら、主が必ず一致を与えてくださいます。それは、創造主の御計画の一部だからです。「あなたがたのために立てている計画は良く知っている。それは災いではなく、将来を与え、希望を与え、平安を与える計画である」と主なる神は約束されています。
6章1節~7節について、別の解釈も紹介したいと思います。「人の齢は、120年にしよう」という聖句は、数十年前までは、人間の寿命が120歳に定められたという解釈が一般的でした。最近は、むしろ、大洪水による裁きのあとも、例えば、アブラハムも、175歳(創世記25章7節参照)まで生きていることから、この120年というのは、人間の寿命ではなく、6章3節の神の裁きの宣告から、ノアの大洪水による裁きまでの猶予期間であるという解釈が有力になって来ています。それにしても、地球上の生命を一掃するという、神の裁きがなされなければならない地上での乱れとは、なんだったのでしょうか? 「神の子ら」(6章2節)とは、一般に、神を敬うセツの子孫であると解釈されています。しかし、それだけでは、地球上の生命を一掃する理由としては納得しがたいというのです。神の子らとは、堕落した天使たちのことであり、一般に天使たちはめとったり、とついだり、子を産むことはできないので、増えることはありません。それを妬んだ堕落天使たちが、美しい女性(人間)をたぶらかして、こどもを生ませたという解釈です。その子たちが、ネフィリム(巨人)となったというのです。これは、ユダの手紙、6節~7節に記されている「主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日の裁きのために永遠の束縛をもって、暗闇の下に閉じ込められました。また、ソドム、ゴモラの周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の日の刑罰を受けて、みせしめにされています。」と関連付けて解釈します。創造の秩序を逸脱した、この地上での天使たちの反逆に対して、主は「地の面から消し去ろう」という神の裁きの決断を促したと考える解釈です。天使たちが自分の領域を守らなかったことに関連して、ユダは、同性婚のことを取り上げています。ソドムとゴモラが火で滅ぼされたのは、天使たちが自分たちの領域を守らなかった反逆に匹敵する、創造主に対する反逆だからです(ローマ人への手紙、1章20節~27節参照)。ここに、好きな者、美しい者と結婚するという延長線上に、どうして、好きなのに、美しいのに、同性同士で結婚してはならないのか、これは人間の当然の人権であるという主張がなされるところであると思います。人間中心主義の価値観によれば、同性婚に対する反論は封じられてしまいます。しかし、聖書は明らかに、同性婚を禁じています。その先には、滅びがあるだけです。
それにしても、同性婚は、ヨーロッパのキリスト教と言われる国々でまず、法律によって認められれ、米国や先進国に波及しています。しかし、それは、聖書から逸脱した形骸化したキリスト教の本質の表れでもあります。ある人たちの調査では、イギリスのクリスチャン人口は、全人口の2%であると言われています。もうすぐ、0.5%になるとも言われています。もはや、ヨーロッパ諸国は、キリスト教国ではなく、神などいないというヒューマニズム(人間中心主義)の国々なのです。なぜ、イスラムがヨーロッパやアメリカで増えているのか、その理由が分るような気がします。真のキリスト教は、アジア、アフリカ、南米の国々で、成長しているのです。
今は、目覚めて、真のクリスチャンとして生きることが、私たちに求められています。
きょうも、クリスチャンとして、聖書の真理を愛する者として生活しましょう。
清宣教師