きょうの創世記10章には、全世界の氏族や、国語、地方、国々のルーツが記されています。
ノアの息子は、セム、ハム、ヤペテの3人でしたが、系図の書き方は、ヤペテの子孫(2節~5節)、ハムの子孫(6節~20節)、セムの子孫(21節~31節)の順序になっています。ユダヤ式の書き方は、最初に支流から述べて、最後に本流を述べるのが正式の書き方のようです。つまり、ここでは、セム系の歴史が本流、本家になるわけです。もう一つの例は、エサウとヤコブの歴史の書き方にみることができます。エサウは長男であり、ヤコブは次男でしたが、聖書の流れの中で、神によって選ばれたのはヤコブの流れでした。それで、まず、エサウの流れ(36章1節)を述べてから、次に、ヤコブの流れ(37章2節)の順序に記されています。
ヤペテの子孫は現在、主にヨーロッパの方に分布しており、ハムの子孫は、主に、アフリカの方に分布しており、セム系の子孫は、主に、中東からアジアにかけて分布していると言われています。これは、もちろん、大雑把な分類ですから、詳しくは参考書をご覧ください。日本でも、韓国でも、創造論の研究者や離散したイスラエルの12部族の行方を探求する研究者の人たちが、いろいろな調査をもとにして、いろいろな仮説を立てています。ある人は、日本人はイスラエルの失われた10部族の末裔であるとか、他の人は、ユダ族の末裔であると推測している人もいます。しかし、いずれも、断片的な証拠からの推測なので、明確な結論にはなっておりません。
創世記1章において人類の祖としてのアダムとエバが創造されましたが、ノアの大洪水において神に反逆していた人たちが滅ぼされました。そして、神の計画は、あたかもリセットされたかのように、ノアとその家族が、地球上の管理を委ねられ、ここから新しい神の家族が増え拡がることが、神の計画でした。
しかし、その後も人類は再び堕落していきます。今度は、大洪水による神の裁きはありませんでした。ただ、密かに、静かに、メソポタミアのウルの偶像礼拝の町に住んでいたひとりの人が神の御計画のために召されました。それは、アブラハムです。旧約聖書全体は、アブラハムの子孫であるイスラエルの民の歴史であるということが出来るほど、大きなスペースが割り当てられています。つまり、創世記12章以降、マラキ書の最後まで、旧約聖書全体を通じてイスラエルの民と主との間の歴史ドラマが記されています。
しかし、そのイスラエルの神の民でさえ、神に反逆する道を選んでしまいました。何度も何度も神に背きました。しかし、神は何度も何度も、イスラエルの民に語りかけ、愛を注いでくださいました。ところが、何度も何度も反逆する民となってしまいました。
そして、遂に、新約聖書において、すべての人類が救われて神の家族となる道が開かれました。つまり、イエス・キリストによる全人類の救いの道です。なんと、大きな愛でしょうか。そのことを可能にしたのが、御子イエス・キリストの犠牲による贖罪の十字架でした。みずから、人類の一員となり、それだけでなく、なんと、罪人の一人として数えられることを良しとされたのです。一点の罪の曇りもない、聖なる神の御子が罪を負われることを良しとされたのです。そして、全人類が神の家族の一員となる道をひらいてくださったのです。神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛されました。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、救われるためでした。
聖書が明確に示していることは、全人類は、みな兄弟姉妹、神の家族です。人種差別などはありえないことです。
神のかたちに造られた家族の一員として、きょうも、まわりの人たちに対して、愛をもって接しましょう。
清宣教師