創世記12章に入ります。いよいよ、人類の歴史の新しいページが開かれようとしています。本当は、誰でもそうなる可能性を秘めているのだと思います。しかし、創造主なる神の御計画に従おうとする人は、本当に少ないように思います。
さて、アブラムが登場します。のちにアブラハムになります。アブラハムという名前は、世界で最も知名度が高いと考えられます。ユダヤ教はもとより、イスラム教でも、信仰の父祖であり、キリスト教でも偉大な信仰者として知られています。一般の人でも、アメリカの黒人の奴隷解放に貢献した大統領、アブラハム・リンカーンの名前を知っています。アブラハム・リンカーンの両親は、旧約聖書の信仰の父の名にちなんで命名したのだと思われます。
さて、アブラハムの出生に関する記録は、ほとんど、省略されています。いきなり、75歳から登場します。ここから分ることは、私たちも、これまでの人生が、どうであったかではなくて、今、何をしようとしているのかが大事です。あなたは、いま、何歳でしょうか。
アブラハムは75歳でした。ここから新しい人生が始まるのです。アブラハムは、75歳で、創造主なる神の御計画に従って生きる決断をしたのです。その前は問題にされていません。あなたが今から、神の御計画に従って生きようと決断するなら、神の祝福の人生を始めることが出来ます。アブラハムにとって、75歳での決断、新しいチャレンジ、神の御計画の道を歩むという選択、ほんとうに、難しかったでしょうが、最高の決断でした。
「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」という神の語りかけに、アブラハムは従いました。私たちに適用するとしたら、必ずしも、実際に「私たちの故郷や親族」を離れてということではないと思われます。それは、今まで生まれてからこの方、「ずっと慣れ親しんできた事柄」、「旧い生き方」、「旧い考え方」、「旧い価値観」、「旧い人間関係」などに終止符を打ち、神の御計画の中に進むことを意味していると思われます。「わたしの示す地へ行きなさい」ということこそ、大事なポイントであると思います。そのためには、多かれ少なかれ、必ず、これまでの旧い自分の人生に決別することが求められたと思います。みなさんは、そうして、「神様の示す地へ」と出発しました。
昨日の聖書の箇所で指摘されていますが、「ハラン」で留まってはいけないと警告されています。おそらく、一息つこうと思ったのでしょうね。あるいは、半分まで進んで安心したのかも知れません。私たちの中にも、何かのきっかけで、いま、一息ついている方もおられるかも知れません。あるいは、問題が起こって一休みしているかもしれません。でも、目的地は、もっと先です。神様が示される地へと進みましょう。あなたのために、神様が用意して下さった約束の地です。
「あなたの子孫にこの地を与える」(12章7節)と主は約束されました。私たちが自分のために何かをなすのも大事なことですが、創造主なる神様からいのちをいただいたからには、もっと、長期的な御計画が存在します。あなたの子孫のため、という御計画です。子孫とは、あたなのこどもたち、いえ、そのこどもたち、いえ、そのこどもたち、・・・・2世代、3世代、4世代、5世代・・・10世代、・・・20世代・・・その人たちのための決断でもあるということです。主のための祭壇を築くのは、自分のためだけでなく、自分の子どものためだけでなく、もっと、もっと、もっと、のちの子孫のためでもあるのです。ですから、40歳、50歳、60歳、75歳での決断が遅いということはありません。世代を超えて、神様の御計画は成就していくのですから、遅いということはありません。
アブラハムは、約束の地に入り、ホッと安心してしまったようです。その隙に、サタンは、不安と恐れをアブラハムの心に起こさせることに成功しました。アブラハムの心に、不安と恐れが入り込んできました。それで、世の考えに従って行動しました。ききんのために、食料の豊かなエジプトに行きました。「過ぎたるは及ばざるが如し」。せっかくの決断により約束の地に入りながら、オーバーランして、エジプトに行ってしまいました。そこで、人並みの考え方に陥りました。妻を妹と偽ることによって生き延びようとしました。これは大失敗でした。しかし、主なる神は、その失敗に介入して下さり、その失敗を益に変えてくださいました。アブラハムは、多くの財産を得て、エジプトから脱出して、約束の地であるカナンに戻りました。主は恵み深いお方です。
主が示される地へ進むために、私たちは、主の御計画、主のお考えを知ることができるように、自分自身を訓練する必要があります。心を開いて、主の導きを求めましょう。自分の思いを主に委ねて、口を開いて、主の御計画と思われることを告白しましょう。
きょう、神の子どもとして、主からのビジョンを告白して、聖霊様によって吟味していただきましょう。
清宣教師