これらの出来事の後、と語られています。アブラムがロトの救出作戦に成功して、故郷に帰り、ソドムやゴモラの王たちに歓呼をもって迎えられ、さらに、アブラムが、主への十分の一のささげ物を、いと高き神の祭司メルキゼデクに捧げました。そのあと、ソドムの王からの報酬の申し出を、きっぱり、断ったという出来事がありました(14章17節~24節)。それらの出来事の後のことでした。主のことばがアブラムに臨みました。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは大きい。」
主なる神様はすべてを御存知です。私たちの弱さも、私たちの強さもご存知です。大きな戦いのあとで、疲れ切っていたアブラムに対して、励ましのことばをかけられました。「わたしはあなたの盾である」。なんと、心強い、具体的な励ましのことばでしょうか。
その報いについては、以前から、約束されていたのですが、アブラムにとっては、見渡す限りの土地がアブラムの子々孫々のものとなるという約束をいただいて、自分の跡継の子が生まれるものと期待していたのですが、なかなか、跡継ぎの子どもが与えられないので、そのことが疑問のひとつでした。それで、主に対して申し上げました。「私には子がありません。私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」これほど、率直に自分の疑問を申し上げたことは驚きですね。
それに対して、主から、「あなた自身から生まれるものが、あなたの跡を継がなければならない」ということばをいただきました。そして、主はアブラムを家の外へ連れ出しました。満天の星の輝く美しい夜でした。創造主なる神様は、ご自分の作品である星々を指さして、「さあ、天を見上げなさい」と言われました。現代の空とは違って、星々はものすごく近くに見えたに違いありません。「さあ、あの星を数えて見なさい。」と言われました。あまりにも美しい星々、創造主の作品はアブラムの心を圧倒し、全能なる神の御力を具体的に感じた一瞬だったと思います。
それから、主は言われました。「あなたの子孫はこのようになる」。感動、感動、感動だったと思います。あるメッセンジャーは、その情景をこう表現しました。「それらの輝く星々は、こどもたちの顔に変わり、一斉に、『アブラム、お父さん!』と叫んだのです」。
その時、アブラムは主のことば、主の約束を信じました。6節において、「主はそれを彼の義と認められた」と記しています。それ以後、アブラムは夜の星を見るたびに、主の約束のことばを思い出したに違いありません。
そのあと、主はアブラムとの間で、契約を結ばれました。それは当時の契約のやりかたに基づくものでした。アブラムは、主の命に従い、雌牛と雌ヤギと雄羊と山鳩のひなを持参しました。そのうち、山鳩を除いて、雌牛と雌ヤギと雄羊のからだを真っ二つ切り裂き、その半分を向かいあわせにしておきました。血の臭いを嗅ぎつけた猛禽(コンドルなど?)が死体の上に降りてきましたので、アブラムは必死になって追い払いました。そのうち、あたりは暗くなり、深い眠りと闇とが襲ってきて、アブラムは、ひどい暗黒の恐怖に襲われました。そこで、主なる神は、アブラムの子孫が、やがて、エジプトの地で、約400年間、奴隷をして苦しめられるが、主は、民たちをエジプトの国から解放し、約束の地、カナンの地に連れ帰るという重大な預言を告げられました。この約束のことばは、のちのアブラハムの子孫であるイスラエルの民にとって、暗闇の中の灯火となりました。
さて、日は沈み、暗闇になった時、主なる神は、煙の立つかまど、燃えているたいまつとして、ご自分を表して、切り裂かれた動物たちの間を通られました。当時の契約のやり方は、契約の当事者たちが、このように二つに裂かれた動物の間を通ることによって、もし契約を破った時は、この動物たちのように切り裂かれて殺されても構わないというしるしでした。ここでは、アブラムが動物たちの間を通り過ぎたとは記されていないので、主なる神様が一方的に、アブラムに対して結ばれた契約ということができます。こうして、主は、アブラムを契約を結び、「わたしはあなたの子孫に、この地を与える」と約束されました。
私たちの人生の中でも、主のことばが臨みます。それを信じる時、義と認められます。私たちは、聖霊様を通して、みことばが臨んだ時、イエス様が神の御子であることを信じました。そして、御子イエス様が十字架において私たちのすべての罪を贖って下さったことを信じました。そして、私たちはその信仰のゆえに、義と認められました。そして、主は義とされた私たちに対して、約束のことばを語って下さいました。「○○よ。恐れるな。わたしはあなたと共にいる。世の終わりのすべての日々において、あなたと共にいる(マタイの福音書、28章20節参照)」、「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選び、あなたを任命したのです。あなたは豊かな実を結びます。あなたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたにお与えになります(ヨハネの福音書15章16節参照)」。
きょう、私たちも神のこどもとして「どんな時も、主は、私の力です」と主への告白をしながら、生活しましょう。
清宣教師
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