私たちを取り巻く情勢は、いつまでも同じとは限りません。アブラムが住んでいた周辺地域でも大きな事件が起こりました。ソドムやゴモラなどの王たちが結束して、これまで統治していたユーフラテスの向こう側のシヌアルの王たちに反逆しました。そこで、シヌアルの王たちが南下して、ソドムやゴモラの地域に侵攻し、戦闘の末、勝利をおさめ、甥のロトの一族が捕虜となり、ロトの全財産が奪われました。
そのことを聞いたアブラムは、すぐに決断しました。多勢に無勢でしたが、危険をかえりみず、同盟を結んでいたマムレと共に、シヌアルの王たちの軍勢を追撃しました。そして、小人数であったため、夜襲をかけて奇襲攻撃を行いました。そして、大勝利を収めて、すべてを取り返しました。
アブラムは、なんと雄々しく、勇敢な人物だったことでしょう。しかも、甥のロトのために、いのちをかけて戦いました。(ある意味、ロトの面倒を見てきたアブラムでしたが、甥のロトに裏切られたという経緯がありました。つまり、争いを仕掛けられ、低地の肥沃な土地をみな奪ったロトです)それにもかかわらず、またまた、甥であるがゆえに、面倒をみてあげるのです。まさに、損得勘定なしに、主のみこころと思う道を選んで、躊躇することなく、実行したのです。
さて、勝利を得て帰ってきたとき、シャレム(平和)の王、メルゼデク(義の王)が迎えました。このメルキゼデクは、まことの大祭司であるイエス様の予型でした。へブル人への手紙に、詳しく記されています(へブル人への手紙、6章20節~7章25節参照)。神の祭司メルキゼデクは、アブラムから戦利品の10分の1をうけとりました。この戦利品には、ソドムやゴモラの人々から奪ったものは含まれていませんでした。アブラムは、ソドムやゴモラの人々から奪ったものには手をつけることなく、すべてを無償で返しました。ただ、シヌアルの王たちからの戦利品は自分のものとしたようです。その10分の1を捧げたと思われます。なぜなら、この戦いに、アブラムは主によって勝利を得たと確信していたからです。ソドムの王の申し出に対して、きっぱりと断ったアブラムの姿は、なんとすがすがしく、天と地の創造主を信じる者として、ふさわしいことでしょうか。
私たちも、アブラムに見習いたいと切に願うものです。貪欲は、私たちの最大の敵のひとつです。金銭が悪なのではなく、金銭を愛することが悪の根なのです。創造主は私たちに、豊かに与えて下さいます。主から豊かに与えられた時、私たちは、それを与えて下さった神様への感謝のしるしとして、その十分の一を神様にお返しします(什一献金)。そして、10分の9の中から、自分や家族のため、将来の備えのために必要なものを取り分けます。そして、忘れてならないのは、必ず、他の人の祝福のために分かちあうことです。すると、主はさらに、私たちを祝福して下さいます。これが、祝福のスパイラル(らせん階段)です。祝福の上に、祝福されて、上昇するのです。一方、足りない、足りないと不満をいいながら、神様への十分の一も、自分たちの生活のために使ってしまう生活は、呪いのスパイラルです。借金に借金を増し加える下降のスパイラルなのです。もし、下降のスパイラルにあるなら、きょう、悔い改めの祈りを主に捧げて、負の連鎖を断ち切りましょう。収入が与えられたなら、まず、創造主なる神様に十分の一を、感謝をもって捧げましょう。そうするなら、やがて、人々にも分かちあう裕福で、寛大な人になるのです。
きょう、神のこどもとして、寛大な心で生活しましょう。
清宣教師