1節、「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた」と記されています。「年を重ねて」と、わざわざ、表現しています。一瞬に老人になったわけではありません。年に年を重ねて、老人になるのです。若い世代から壮年の世代、それらの1年1年の積み重ねが高齢者への道をたどることになるのです。ちょうど、樹木の年輪のように、その内側に、それまでの1年1年の生涯が記録されていくのです。つまり、どのような高齢者になりたいか、どのような人生の結末を終えたいのか、それは、それまでの1年1年の積み重ねにかかっているのです。一瞬にして老人になるのではありません。つまり、若いときから、壮年のときから、すでに、老年になることを予測して、準備をする必要があります。自分はどのような老齢の世代を迎えたいのか、どのような終末を迎えたいのか、それを無視して生きていては、自分の目指すクリスチャン老人になることは不可能です。
さて、「老人になっていた」と記されています。普通の表現であれば、「老人になった」ですが、ここでは「老人になっていた」と表現されています。私自身、今年の3月の誕生日で73歳になりましたが、まさに、聖書の表現がピッタリです。[老人になった]のではなく、「老人になっていた」自分を見出しています。おそらく、みなさんも、高齢になってみて、この感覚を知ることが出来ると思います。時が過ぎてゆくのは、自分の身体の中の時計よりも、早いようです。気が付いてみると、あっという間に、60歳、70歳になっていた自分を見出すことと思います。それだけに、一層、自分自身の人生の設計を真剣に考えて準備する必要があると思います。20代、30代、40代、50代、60代の皆様、自分自身が高齢になっていたことを見出した時、どんな自分になっていることを願っておられますか。この世の人生は、この世で終わりではありません。永遠の天の故郷への帰り道です。寄留者であり、旅人であることを証しする人生を送りたいと思っておられることと思います。高齢になってからではなく、今から、そのように生きることがとても大切です。
さて、アブラハムは、跡継ぎの息子のために、準備をすることにしました。具体的には、息子イサクの嫁を探すことでした。当時は、それが親のつとめでした。最も信頼できる最年長のしもべを呼んで、誓いを立てさせ、アブラハムの生まれ故郷の親族の中からイサクの花嫁を探すように命じました。そのしもべは、思慮深い人であり、良く祈る人でした。そして、リベカとの出会いに導かれました。その詳しい経過が10節~65節に記されています。その証しは、そこに関わった全ての人に感動を与え、すべてがスムーズに進みました。
なお、特筆すべきことは、リべカが翌朝、しもべと一緒に、実家を出立したことです。家族の人たちは、最低10日間は自分たちと一緒に過ごしてから旅立って欲しいと願っていました。ところが、明らかな神の導きの証しを聞いたリべカは、アブラハムのしもべの招きに応じて、直ちに、従うことにしたのです。そして、アブラハムのしもべと一緒に出立しました。そして、リべカは、無事、ネゲブのイサクのもとに導かれて、彼の妻となりました。
これから結婚する兄弟姉妹、すでに、結婚している兄弟姉妹、一人一人の上に、主の導きが豊かにあることを信じます。主がひとりひとりを祝福し、導いて下さいますように、祈ります。
清宣教師