今日の創世記30章の個所は、姉のレアと妹のラケルの競争です。
8節には、「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」とラケルが宣言しています。なにか、サッカーの試合でも見ているようですね。双方に別れて、試合をします。シュートしてもゴールに入らなければ得点にはなりません。二人の姉妹にとって、ヤコブの子をもうけることが得点をあげたことになり、レアは連続4得点をあげました(29章32節―35節)。そこで、ラケルは、ヤコブに「あなたが悪い」と、八つ当たりして、ヤコブを怒らせてしまいました。
それで、ラケルは、考えをめぐらせて、外国人選手(ここでは女奴隷ビルハのこと)を雇います。そして、連続2得点をあげました。それを見たレアもまた、外国人選手(女奴隷ジルパのこと)を雇い、連続2得点を挙げました。そのあと、レアは自分で連続2得点をあげました。そのあと、ようやく、ラケルも自分で1得点を挙げました。その子の名をヨセフと名付けました。そして、ラケルがもうひとりの男の子をもうけるのはずっと後のことでした(35章16節―18節参照)。こうして、ヤコブには最終的に12人の男の子が与えられます。
4人の母親が、ヤコブに産んだ子供たちでした。母親同士のさや当てがあり、こどもたちの間にも妬みや敵対心が生れました。のちのち、ヤコブはラケルを愛するがゆえに、ラケルが産んだヨセフを、特別扱いしたことで、とんでもない事件が起こる事になります(37章に記されています)。やはり、両親の不和、偏愛は、こどもたちの間に、悪い影響をあたえることが明らかです。このあと、12人の子供たちが成長していく中で、いろいろな事件が起こり、ヤコブの心を悩ますことになります。
しかし、主なる神様の恵みと慈しみは変わりがありませんでした。20年以上の歳月が過ぎていく中、主は兄弟たち、ひとりひとりの品性を練り上げていきます。12人の間の妬みと殺意と邪悪な関係を、最終的に、完全な和解へと導いて下さるのです。それは両親が教え諭したというよりも、神様が主権をもって、ひとりひとりの状況を導かれ、御手によって形づくってくださったとしか言いようがありません。45章のクライマックスに至るまで、毎日、1日1章が楽しみです。
さて、30章の後半ですが、ヤコブは、ラバンのずるがしこさを逆手にとって、それを上回る策略により、自分の財産を増やしていきます(30章31節―43節)。ヤコブは「押しのける者」という意味の名前ですが、エサウを押しのけ、さらに、逆境をもはねのけ、ラバンを押しのけ、自分の能力で財産を増し加えていきます。ヤコブは生まれつきの能力で、どんどん、打ち勝つ人として描かれています。そして、そのヤコブも、あとあと、遂に、神様に自分の生まれつきの能力を打ち砕かれる時が来ます。そして、ついに、イスラエル(神が戦われる)という名前に変わる時がきます。
主なる神様は、12人のこどもたち、ひとりひとりの人格を練り上げ、変えて下さるだけでなく、父親のヤコブの人格をも変えて下さるのです。なんと、素晴らしいことでしょうか。
主なる神様は、私たちを変えてくださいます。聖書は約束しています。「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました」(コリント人への手紙、第2、5章17節)。また、聖霊のお働きにより、私たちは日々、主と同じ姿に変えられていくのです(コリント人への手紙、第2、3章18節参照)。
ご一緒に祈りましょう。主よ。きょう、私を造り変えてください。
清宣教師