創世記31章で、ヤコブは、20年間のラバンのもとでの生活を終えて、妻やこどもたち、それに多くのしもべたち、多くの羊や牛の群を携えて旅立ちました。ラバンとの間に一触即発のような危機的な状況もありましたが、主が介入して下さり、ラバンとヤコブの間を執り成してくださり、結果的には、正式に相互不可侵の契約を結んで、平和裏に別れることが出来ました。この20年間は、ヤコブにとって、とても苦しいことの連続でした。特に、ラバンから何度も何度も騙されながらも不屈の忍耐をもって自分の家族を守り、ひとつの大きな家族を建てあげることが出来たのです。ヤコブの信仰者としての人格形成に、もっとも大きく貢献した人物と言えば、間違いなく、ラバンであると思います。父親のイサクでもなく、母親のリべカでもなく、妻たちでもなく、ラバンでした。ラバンの狡猾な仕打ちを受けて、ヤコブは徹底して忍耐を学びました。ヤコブは、もはや、ラバンのところに来たとき、「声を上げて泣いた人」ではありませんでした。妻や子を養い育てるところのたくましい父親になっていました。
さて、故郷に近づくにつれ、ヤコブの心の中に大きな不安が湧いてきました。兄エサウに前もって使いを出しましたが、400人のものを引き連れてエサウが自分を迎えに来ると聞いたとき、その恐れは最高潮に達しました。ヤコブは、自分で考えられる限りの最上の贈り物を備えて、それをいくつかの群に分けて、次々と出立させました。その群れが兄エサウに出会ったら、これは弟ヤコブから兄エサウへの贈り物ですと、弟ヤコブからの口上を述べるように、しもべたちに命じました。それでも、どうしようもない強い不安に襲われました。そこで、ヤコブは、妻とこどもたちに川を渡らせたのち、一人でその場に残りました。そして、神の前に祈りの格闘の時間をもちました。夜明けまで、格闘しました。そして、ついに、神の使いから、祝福のことばを与えられました。これまでは自分の力で、なにもかも、解決しようとして、人を押しのけてきたものですが、いまや、「神が戦われる(イスラエルの意味)」という名前をいただき、神に頼る者としての新しい道を歩み始めることになりました。
ヤコブは、へりくだり、兄に近づくまで、7回も地に伏してお辞儀をしました。感謝な事に、主の恵みにより、兄エサウの怒りは消え去っていました。それで、相争うことなく、二人は再会の約束をして別れました。ヤコブは、兄エサウのもとに、後から挨拶に行きますと言いましたが、実際には、兄エサウの居場所であるセイルとは、反対方向にあるシェケムの町に進みました。しかし、そこで、大事件に巻き込まれることになりました。
ヤコブの娘のディナが、その土地の娘たちを訪ねようとして、町に出かけたとき、その土地の族長ヒビ人、ハモルの息子のシェケムに襲われて辱めを受けてしまいました。しかし、シェケムは、このあと、ディナに心を惹かれ、自分がしたことの責任を取ろうとして、父親に、ディナを妻として迎えたいと願い出ました。一方、娘ディナが汚されたことをヤコブが知る所となりました。しかし、息子たちが出かけていたので、ヤコブは彼らが帰って来るまで黙っていました。シェケムの父親のハモルは、息子の不祥事を解決するために、ヤコブと話し合うために、息子のシェケムを連れてやってきました。そして、彼女を息子の嫁にしてください。どんなに高い花嫁料と贈り物であっても、おっしゃる通りにしますから、と言って懇願しました。しかし、ヤコブの息子たちは、ハモルやシェケムの誠意に対して、腹黒い策略をもって応じました。主との契約である割礼を悪用して、ハモルとシェケムに対して、シェケムの町の男子全員が割礼を受けるなら、ひとつの民となりましょう、と約束しました。そこで、ハモルとシェケムは、それを誠実に実行しました。そこには、町の人たちを同意させるような打算的な提案内容も含まれていました。しかし、ハモルとシェケムは、ヤコブの息子たちとの約束を守ったことは確かです。ところが、シェケムの町のすべての男子が、割礼を受けて三日目、彼らの割礼の傷が痛んでいるところを狙って、ヤコブの二人の息子のシメオンとレビが、剣をもって町を襲い、すべての男子たちを殺して、ディナを連れ出しただけでなく、その町の全財産、幼子、妻たち、家にあるすべてのものを虜にして略奪しました。そこで、ヤコブは、シメオンとレビに対して、「あなたがたは困ったことをしてくれた。私をこの地の住民カナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。彼らが一緒に集まって攻めてきたら、私たちは根絶やしにされるだろう」と責めました。それに対して、シメオンとレビは、「私たちの妹が遊女のように取り扱われてもいいのですか」と反論しました。それに対して、父親ヤコブは答えることが出来ませんでした。父親ヤコブは、ある意味、この問題を直接、解決しようとせず、傍観していたようです。それで、息子たちの反論にひとことも答えることが出来なかったようです。しかし、シメオンとレビの行動は、明らかに、主の教えに反していました。過ちを犯して謝ってきたにもかかわらず、それを赦さず、むしろ、偽りのことばで、彼らを皆殺しにして、彼らの財産を略奪したのですから、それを正当化するシメオンとレビは、神の前から退けられました。後の事ですが、ヤコブの長男のルベンが不祥事を起こして、長子の権利を失ったとき、次に長子の権利をもつのは、シメオンとレビでしたが、この時の悪事のゆえに、次男のシメオンも、三男のレビも、祝福は与えられず、四男のユダが、祝福を受けることになりました(創世記49章3節~12節、第1歴代誌5章1節~2節参照)。
こうして、ヤコブは、最悪の事態に陥りました。もはやヤコブ自身の力で収集することが出来る限界を遙かに超えていました。そこで、主に頼る以外に道はありませんでした。感謝な事に、ここで、主が介入して下さいました(35章5節)。波乱万丈のヤコブの人生ですが、主が共にいてくださり、解決して下さいました。しかし、ヤコブの人生はこれからでした。
きょう、主が共にいてくださいます。主のみこころを求めて祈り、自分自身で復讐することを止めて、主に委ねて歩みましょう。
清宣教師