40章は、「これらのことの後」ということばで始まります。前にも指摘しましたが、「これらのことの後」という言葉は、主なる神様にはご計画があることを示しています。決して、偶然ではなく、事の次第には順番があるということです。「これらのことの後」です。二人の囚人が、ヨセフと同じ監獄に入れられたのです。彼らは、いわば、雲の上の人たちでした。一人は、エジプト王パロの献酌官長、もうひとりは、パロの料理官長でした。彼らはエジプトの高官たちであったので、付き人が必要でした。侍従長は、監獄の長から、ヨセフの行いについて、あらかじめ、いろいろと報告をうけていたようです。侍従長は、信頼できるものとしてヨセフを、二人の高官の付き人にしました。
当時、エジプト王の宮廷では、陰謀事件があると、王の食べ物や飲み物に関与する献酌官や料理官は、真っ先に嫌疑を受ける立場にありました。この二人は慣れない獄中で、将来に対する不安と恐れのなかで、眠れないようです。かれらは二人とも夢を見ました。一方、ヨセフは、委ねられた職務に忠実でした。二人の顔色が悪いのに気づき、親切に話しかけました。「なぜ、きょうはあなたがたの顔色が悪いのですか」。それがきっかけで二人は自分たちが見た夢について話し出しました。ヨセフといえば、あの「夢見る者」(兄弟たちに名づけられたニックネーム)です(創世記37章19節参照)。しかし、ヨセフは、あくまでも自分の力ではなく、夢を解き明かすのは「神のなさることではありませんか」と言って、神に栄光を期しました。そして、9節~19節で、ふたりの夢を解き明かしてあげました。献酌官長には、三日の内に、もとの地位に戻るようになる事を告げました。それから、ヨセフは、その機会に、無実の罪で投獄されている自分を釈放してくれるように、エジプト王のパロに口添えしてくれるように頼みました。料理官長には、三日目に処刑されることを伝えました。そして、三日後のパロの誕生日に、その夢が実現し、献酌官長は元の地位に戻り、料理官長は処刑されました。しかし、献酌官長は、ヨセフから頼まれたことを思いださず、忘れてしまいました。献酌官長がヨセフとの約束を思い出すのは、それから、2年後のことでした。
これは、主のご計画でした。ヨセフの物語を記した詩篇105篇には、この出来事について、「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした」(詩篇105篇19節)と記しています。とくに、この出来事は、ヨセフにとって、第1に、人に頼るのではなく、主に信頼することを学ぶ機会となりました。第2に、王の側近のふたりに起こった出来事は、ヨセフがのちにエジプトの総理大臣になった時、「明日は我が身かも」と、宮廷内の陰謀に関わることがないようにとの有益な戒めとなったことと思われます。
ところで、ヨセフは、「あなたが幸せになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください」(創世記40章14節)と言いましたが、献酌官長は、忘れてしまいました。一方、十字架の上で、隣の強盗が、イエス様に「イエス様、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」と願いましたが、それに対して、イエス様は、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23章43節)と答えられました。イエス様は、2年後でもなく、明日でもなく、「今日」と言われました。
きょう、真実なお方、約束を果たされるお方であるイエス様に信頼して、歩みましょう。
清宣教師