ヨセフは、兄弟のうち、5人を選び、父とともに、パロのところへ挨拶に伺いました。そこで、パロが兄弟たちに「あなたがたの職業は何か。」と尋ねると、兄弟たちは、「羊を飼う者です。先祖代々、そうでした」と答えました。そこで、パロは、ゴシェンの地に住まわせるように、ヨセフに命じました。それから、ヨセフは、父ヤコブを連れて、パロに挨拶しました。パロは、ヤコブに対して「あなたの年は、幾つになりますか」と尋ねました。ヤコブは、「私のたどった年月は130年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」と答えました。その後、ヨセフは、パロが命じた通り、彼の父と兄弟たちを、エジプトの地で最も牧畜に適したラメセスの地を所有として与えました。
さて、飢饉がひどくなり、エジプトの民たちは、食料を求めて、パロが所有している穀物を買いました。さらに、飢饉が長引いたので、エジプトの民たちは、代金の銀がなくなり、家畜を抵当にして、食料を買い求めました。さらに、民たちは銀も、家畜もなくなったとき、農地を売りに出しました。こうして、エジプトの地は、パロの所有となりました。ただし、祭司たちは、パロから給与をもらっていたので、土地を売ることはありませんでした。ヨセフは、民たちに、畑に蒔く種を与えました。そして、収穫物の5分の1をパロに納めることとしました。これは当時の諸外国では、収穫物の5割か、それ以上というものでした。日本の地主も、5割以上というところがあったようです。この規定は、考えられないほど奴隷の立場を考慮したものでしたので、奴隷たちは喜んでそれに従いました。
そうこうするうちに、ヤコブはエジプトの地で17年間の時を過ごすことになりました。ヤコブの青年時代は、波乱万丈のものでした。そして、壮年時代を経て、人生の最後の17年間は、12人の子どもたちも互いに成長して、みな協力し、頼もしい存在となっておりました。ヨセフがエジプトの総理大臣であり、いまや、孫たちも数多く、ヤコブの人生の中で、最も平和で幸せな時期となりました。
しかし、死ぬべき日が近づいていました(47章27節~29節)。ヤコブは、このエジプトの地では、自分は寄留者であり、旅人であることを自覚していました。それで、自分の遺体について、エジプトではなく、カナンの地に葬るように、ヨセフに依頼しました。そして、ヨセフは、父のももに手を入れて、父の願いを必ず、実行することを誓いました。自分の手を相手のももの下に入れるとは、とても大事なことを誓うときの風習でした。
人生には、必ず、最後の時が来ます。どのような最期を迎えるか、それはどのような人生を送ったかで決まると言われています。人生の総決算のとき、そのとき、私たちは良いものを残したいですね。自分たちの世代だけ便利であればよいというような、放射性廃棄物を、子々孫々にまで残す原子力発電の利用は間違っています。日本の国から原発がなくなりますように、全世界の540基ともいわれる原発がなくなりますように、祈りましょう。私たちが次の世代に良きものを残すことが出来るように、祈りましょう。
清宣教師