きょうの48章では、のちのち12部族の祖となるエフライムとマナセの祝福の経緯について詳しく記しています。父ヤコブが病気になったので、ヨセフは、二人の子を連れて、父親をお見舞いに行きました。ヤコブは、病の床から、力をふりしぼって床に正座しました。そして、ヤコブは、その生涯において神から与えられた契約について話し出しました。神は、「あなたに多くの子を与えよう」といわれ、「この地をあなたの後の子孫に与え、永久の所有としよう」というものでした。そこで、ヤコブはヨセフに対して、ひとつの提案をしました。それは、ヤコブがエジプトに来る前に、ヨセフに生れた二人の子(ヨセフの孫)を、自分の長子のルベンや次男のシメオンのように、自分の子どもとしたいということでした。ヨセフに代わって、マナセとエフライムのふたりがヤコブの子となるということです。どういうことかというと、ヨセフの相続分が、実質的に他の兄弟の2倍になるということです。ヤコブの長子として、2倍の相続を受けるということです。ただし、このあと、ヨセフに生れる子は、ヨセフの子として良いということでした。それから、ヤコブは、昔を振り返り、ヨセフの母であるラケルの事を話しました。そのうちに、ヤコブは、ヨセフが連れてきた二人の子に気付きました。目が不自由になっていたようです。そこで、ヤコブは、ヨセフの二人の子を祝福しました。父ヤコブは、右手を次男のエフライムの上に置き、左手をマナセの上に置きました。日本の国では、左と右というと、左大臣が右大臣より上の地位になっていますが、当時のイスラエルでは、右手を置かれた方の人が、左手を置かれた人よりも上位になるのです。つまり、次男のエフライムが上位のものとして祝福を受けたのです。はじめ、ヨセフは父ヤコブの目が見えにくくなっているので、間違いではないかと思い、父ヤコブの手を置き換えようとしましたが、父ヤコブはそれを拒みました。そこには、主の御計画であるという確信が与えられていたようです。
後日談になりますが、その後、400年~500年が経過すると、12人の子どもたちの子孫が、12部族に成長し、イスラエル国家を形成していきます。正統的な長子の権利を与えられたユダ族の子孫からダビデ王朝が生れました。しかし、ダビデ、ソロモンと続いた統一王国でしたが、そのあと、統一王国が南と北に別れて、南ユダ王国(ユダ族とベニヤミン族の2部族)と北イスラエル王国(その他の10部族)に分裂しました。その時、北イスラエルの覇権を握ったのがエフライム族でした。こうして、父ヤコブ(イスラエル)の祝福は、のちのち、実際の歴史上の出来事として成就していきます。
さて、イエス様の選びは、名のある権力者や金持ちや学者ではなく、漁師や取税人や名もない女たちが用いられました。寒村のナザレの村の処女マリヤが選ばれました。そして、無学な羊飼いが選ばれました。主の選びは不思議です。そして、主は言われます。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、召したのである」。主なる神の祝福は、のちのちの子孫にまで影響を与えることが示されています。それは十戒の中にも記されていることです。十戒では、神の祝福は、子々孫々、千代にまで施すと、約束されています(出エジプト記20章6節)。しかし、神の祝福には、いつも、条件が伴います。それは「主を愛し、主の命令を守る」というものです(出エジプト記20章6節参照)。残念ながら、イスラエルの民は、神の祝福を受けて繁栄するにつれて、主を愛することを止め、主の命令に背き、自分中心の生き方をするようになりました。私たちも、祝福を受けた時にこそ、わがまま勝手な人生を送る危険性があります。
きょう、主から選ばれた者として、謙遜に、主を愛する生き方、主のみこころに従う人生を貫くことが出来ますように、祈りつつ、生活しましょう。
清宣教師