10章では、相変わらずパロの心は頑なで、主のことばを拒否しています。主は、この理由を次のように説明されています。つまり、パロが頑ななのは、神がさらに奇蹟を行うためであり、その驚くべき御業を神の民であるイスラエルが子々孫々まで語り伝えるためであるというのです。さらには、今いるイスラエル人が、はっきりと、神が主であることを知るためであるというのです(10章1節、2節)。
こうして、第8番目のいなごの災禍が襲うことが予告されました。いなごの恐ろしさは、エジプト人は毎年のように経験していました。そこで、パロの家臣たちは、エジプトが亡びてしまうのではないかと恐れて「彼らを行かせて、彼らの神、主に仕えさせるように」とパロに進言しました(10章7節)。そこで、パロは、モーセやアロンを連れ戻して、ひとつの提案をしました。それは「壮年の男だけ行って、主に仕えよ」という提案でした。これは主がパロに求めたものとは異なります。ですから、主はモーセに、「あなたの手をエジプトの地の上に差し伸ばせ。」と命じられました。
モーセがエジプトの地の上に杖を差し伸ばすと、主は強い東風をもって、空が真っ暗になるほどのイナゴの大群をエジプト全土に呼び寄せました。イナゴによる裁きが始まりました。野にある果樹や、作物、野の草もみな、イナゴに食い尽くされるに及んで、パロはモーセを呼び出し「もう一度だけ、私の罪を赦してくれ」と嘆願します(10章16節、17節)。そこで、モーセは主に祈り、イナゴの大群は強い西風に追いやられて一匹もいなくなりました。すると、パロの心は頑なになり、またまた、約束を果たしませんでした。
そこで、第9番目の暗やみの災禍がエジプトを襲うことになります。主はエジプト全土を、昼も夜も三日の間、暗闇をもって覆いました。エジプトでは、昔から太陽は「ラー」という名前で崇拝されていました。つまり、彼らが頼りにしていた太陽神をうち、暗闇で覆うという裁きをなされたのです。暗やみによる神の裁きに耐えられなくなったパロは、再び、モーセとアロンを呼び寄せて、妥協案を提示します。「幼子を連れて行くのもよい。しかし、羊と牛だけは連れて行くのはダメだ」というものでした。
それに対して、モーセのことばはなんと力強いものだったでしょうか。「私たちは家畜も一緒に連れて行きます。ひづめ一つも残すことはできません」と宣言しました。「ひずめ一つも」と言い放ちました。明らかに、モーセが優位に立っています。そこで、パロは、「出て行け、二度と顔をみたくない。今度あったときはおまえを殺す」と言いました。エジプトの最高権力者からの最後通告です。しかし、モーセは、天の御国の大使のようですね。毅然として答えました。「結構です。私はもう二度とあなたの顔をみません」と応答しました(10章28節~29節)。
主のみわざを見て、1日1日とモーセの確信が強められて、きょうの10章では、何者をも恐れないモーセの姿を見ています。主は、私たちに対しても「恐れるな。わたしはあなたと共にいる」と宣言されています。きょう、主イエスを見つめて、恐れの波を足の下に踏んで、前進しましょう。
清宣教師