いよいよ、12章は出エジプト記の中心テーマ、あるいは旧約聖書全体の中心テーマともいえる出エジプト(エジプトからの脱出)の出来事です。主はまずイスラエルの民に対して、イスラエルの歴史を更新する出来事として新しいカレンダーを設けるように命じられました。このエジプト脱出の月が1年の初めの月となるのです(12章2節)。それまでは1年の初めはチスリの月から始まりました。ところが、出エジプトの出来事が起こる春分のあるアビブの月(ニサンの月)を第1月とするように命じられたのです。現代の私たちの暦では、3月中旬から4月中旬の時期に相当します。出エジプト以降、イスラエルの民は、二つの暦をもつことになりました。民亊暦は、これまで同様、チスリから始まり、宗教暦はアビブの月から始まるものです。
さて、過ぎ越しの祭の実施要領について、詳しく述べています(12章3節~20節)。その中でまず、「家族ごとに」と記されています。イスラエルの民がエジプトに下ったときは、ヤコブの全家族70名でした(出エジプト記1章5節参照)。ところが、いまエジプトを脱出しようとしているのは壮年男子だけで60万を超える数でした。もはや、ひとつの家族が、ひとつの国家として出エジプトすることになるのです。しかし、その基礎は、家族です。家族単位で過ぎ越しを守るように命じられています。羊1頭を食べつくすには、男性10人が最小限の人数と考えられています。ある家の人数が少なければ、隣の家の人と相談して、羊1頭をほふるように命じられています。その肉は火で焼かなければなりませんでした。火に焼かれるとは、試練や苦しみを指しているので、来たるべき子羊である、イエスさまの上に注がれる神の裁きを表していると考えられます。それから、7日間、種(パン種、つまり、イースト発酵菌)をいれないパンの祭をするように命じられました。パン種をいれないということは、出エジプトの出来事が、急な出来事であり、パン種をいれる時間的な余裕がなかったことを表すものと考えられますが、同時に、パン種を罪として、パン種を取り除くとは、罪の悔い改めを表しているとも考えられます。それから、イスラエルの長老たちに、モーセは語りました。小羊の血を、各家庭の2本の門柱と鴨居に塗りつけること、また、家族のだれも、この門の外に出てはいけないことを命じました。また、この過ぎ越しの祭を子々孫々まで守り行うように命じました。
イスラエルの民は、モーセを通して与えられた主のみことばに従い、14日の夕暮れに家族ごとに羊一頭を屠りました。また、その血は家の入口のかもいと門柱に塗りつけました。その子羊の肉は家族みんなで食べました。主がエジプト全土を裁かれた時、その家の門に子羊の血がついている場合は、主の死の使いは、その家には入らずに、その前を通り過ぎました。主の死の使いが通り過ぎたことから「過ぎ越しの祭」と呼ばれるようになりました。こうして、イスラエルの民の家の長子たちは生き残ることができました。しかし、エジプト人の家の長子や家畜の初子はみな、死にました。
ですから、エジプト人の家では、死者がいない家はなく、ものすごい恐怖がエジプト全体を覆ったのです。彼らは主のことばに逆らうなら、今度は自分たちも殺されると悟ったのです。ですから、一刻も早く、イスラエルの民たちに出て行って欲しいという願いから、イスラエルの民を急き立ててエジプトから追い出すかのようにして送り出したのです。
その時、イスラエルの民は、エジプトの民に金や銀や着物や高価なものを求めました。それはすべて認められました。ある意味、これまでの奴隷としてのただ働きをした未払い賃金を受け取るかのように、当然のものとして受け取りました。そして、ラメセスから、スコテに向かって出発したのです。20歳から60歳の壮年だけで約60万人、それに女子供、老人を含めると240万人になると言われています。また、この機会にイスラエル人と一緒にエジプトを抜け出したいという外国人も大勢いたようです(37節~38節)。エジプト滞在の期間は約430年でした。こうして、過ぎ越しの出来事を通して、イスラエルの民は再出発したのです。出エジプトはイスラエルの民にとって再出発の原点となる出来事でした。
私たちも、イエス・キリストを信じて、この世のものではなく、御国の子として生きることを選択しました。ですから、水によるバプテスマ(洗礼)は、この世の支配(この世の価値観など)から解放されて、御国の子として生きることをも表しています。きょう、神の子として、御霊の自由の中に入れられていることを覚えましょう。
清宣教師