主は、イスラエルの民に対して、世々守るべきことを、モーセに告げられました。「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである」(1節、2節)。その理由としては、イスラエルの民がエジプトから出る時に、パロとエジプトの民たちは、なかなか、イスラエルの民がエジプトから出ることを、認めなかったので、主はエジプトの民とその所有の家畜のすべての初子を殺すことによって、強制的にパロとエジプトの民たちにイスラエルの民の解放を認めさせたことです(15節参照)。
そのとき。イスラエルの民と家畜の初子は殺しませんでした。本来は殺されるべきものが子羊の血の贖いによって滅びを免れました。ですから、これ以後、イスラエルの民の中に生まれる初子や家畜の初子は主のものとして捧げるべきことを定められたのです(12節、13節参照)。つまり、イスラエルの家畜の初子は、主に捧げられるべきものとして聖別されました。人の場合は、身代わりの家畜を捧げることが定められました。
それから、毎年、新しいカレンダーの1月の14日の夜に、「過ぎ越しの祭」を行うことが定められました。(同時に、14日の夜から1週間、「種を入れないパンの祭」を行うことも定められました)。約束の地へ、イスラエルの民が導き入れられたあとも、この種を入れないパンの祭を必ず、守るように命じられました。そして、子供たちや幼子たちに、昔、エジプトから脱出させてくださったとき、神様がなさってくださったことを覚える機会として用いるのです。また、すべての初子が主のものであることを教えるのです。そのために、神の民であるイスラエル人は、初子を贖うことを教えるのです。そのためには神のみことばを紙に書いて、額と手の上に記すようい命じられました。これを確実に実行するために、のちに、聖句を書いた羊皮紙の札を入れた小箱をつくり、祈る時、ひとつは左腕に、ひとつは額につけるようになりました。
さて、モーセがエジプトを出立したあと、イスラエルの民は、約束の地に最も近い道を進むのではなく、むしろ、回り道になりますが、荒野の道を行くように命じられました。その理由のひとつは、イスラエルの民は、精鋭の軍隊というにはほど遠く、まだ、戦いを経験したこともない烏合の衆のようなものでした。それで、神は、イスラエルの民が、ペリシテ人たちと戦う必要がない道へと導かれたのです。その際、父祖のヨセフが民たちに約束させておいたように、ヨセフのミイラとなった亡骸を携えて、エジプトを出立しました。
こうして、イスラエルの民は、スコテから出て、荒野の端のエタムに宿営しました。主は、昼は雲の柱、夜は火の柱として、ご自分の臨在を現されました。イスラエルが荒野の中を旅する時、主なる神は、つねに、イスラエルの民の先頭に立って進まれたのです。
きょう、主は私たちの歩みに先立って歩まれるお方です。主に信頼して平安をいただいて、落ち着いて、進みましょう。
清宣教師