さて、モーセがエジプトを追われた時、ミデヤンの地でお世話になった義父イテロが登場します。モーセはミデヤンの地で、イテロの娘チッポラと結婚して、長男ゲルショム(私は外国にいる寄留者だ)と次男エリエゼル(私の父の神は私の助けであり、パロの剣から私を救われた)とを授けてもらいました。モーセが主から召命をうけてのち、エジプトへの途上、チッポラは息子に割礼を授けました。そのあと、どうやら、モーセの働きのために、チッポラと息子たちは、イテロのところに帰ったようです。
しかし、いま、イスラエルの民は無事に脱出しました。そして、ミデヤンに近い荒野を旅していることを聞きました。それで、イテロは、チッポラと二人の孫を連れて、モーセのもとを訪れました。モーセたちは、神の山のふもとに宿営していました。
そこで、モーセは、イテロを出迎えに行き、身をかがめて口づけし、互いに安否を問い、天幕に迎え入れました。それから、主が、イスラエルの民を救うために、どんなに素晴らしいことをなさって下さったかを証ししました。イテロはそれを聞いて、モーセと共に、喜びました。イテロはまた、モーセの証しを聞いて「今こそ、私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。」と告白しています。
モーセのしゅうとは、全焼のいけにえと神への捧げ物をもってきていたので、アロンはモーセのしゅうとと共に、神の前で食事をするために、イスラエルのすべての長老たちと共にやってきました。そして、神の前で食事をしました(18章12節)。神の前での食事です。
私たちも主の食卓に招かれています。主の晩餐です。もう一度、思い出してほしいのですが、主の晩餐は、主イエス様が招いて下さる食卓です。ホスト役がイエス様です。私たちはそこに招かれているお客さんです。主の食卓にあずかることができるとは、なんと素晴らしい特権でしょう。
ところで、翌日、イテロは異邦人のミデヤンの祭司でしたが、驚くべき光景を見ました。それは、モーセが裁きの座について、朝から晩まで民たちの訴えを聞いている姿でした。そこで、イテロは、ひとつの重大な提案をします。それはモーセ1人がイスラエルの民全体の重荷を負うのではなく、民全体の中から、神を畏れ、不正の利を憎む、誠実な人々を見つけ出して、1000人の長、100人の長、50人の長、10人の長として、彼らに普段の裁きを任せて、その中で重大な事柄のみをモーセが扱うようにとの提案でした。そうすれば民も疲れることなく、モーセも疲れることなく、継続してその任に当たることが出来るというのです。そこで、モーセはそのアドバイスを聞きいれました。それは主のみこころにかなうものでした。今でも、主なる神様は、未信者の方を通して、私たちに重大なアドバイスをされることがあるということです。モーセは、異邦人の祭司、しゅうとのイテロの提案を、分け隔てなく、考慮して、その結果、それが御心であると結論すると、それを受け入れるという柔軟性がありました。
それらの出来事ののち、イテロは自分の役目を終えたと感じたのでしょう。モーセに見送られて、自分の国に帰って行きました。
きょう、私たちも外見や地位によって判断せず、未信者の人からアドバイスを受けたなら、それが主のみこころからでたものであるかどうかを考えてみて、それが主のみこころに沿ったものなら、その提案を受け入れましょう。
清宣教師